1995年に稲葉がヤクルトに入団した時の監督、野村克也氏は振り返る。「秀でたものは感じなかった。俺が克則の応援に行ってなきゃ入っていないわけだから」
法大4年の稲葉はそれほど、注目されていなかった。野村氏は当時明大にいた息子、克則の試合を観戦しに神宮球場へと足を運んだ。稲葉は氏の目の前で2度、本塁打を放った。「即戦力の左打者」を求めていた野村氏は縁を感じ、すぐに編成会議で獲得を打診した。
周囲を驚かせたのは野球への姿勢だ。黙々と鍛錬する姿には24時間、室内練習場でバットを振っているかのような錯覚さえ起こさせたという。
日本ハムには05年に移籍した。日本ハムが他球団からFA選手を獲得した例は、他にない。本拠地を北海道へ移したばかりの球団には、能力とリーダーの資質を兼ね備えた選手が必要とされた。
長年スカウトを務めた日本ハムの山田正雄ゼネラルマネジャーは「稲葉はこんなに活躍すると思っていなかった。能力は普通。逆に勉強になった」とプロ入り後の成長に感心する。懐の深いフォームから繰り出すずれのないスイングには、18年目を迎えたプロ生活で積み上げた鍛錬の成果がうかがえる。粉骨砕身の努力を続けられる才をもって、偉業を成し遂げた。