05年にヤクルトからFAでメジャー移籍を目指したが、かなわず。救ってくれた日本ハムで、カルチャーショックを受けた。メジャー帰りの新庄流パフォーマンスに感化され「思い詰めてプレーしていたのが、気持ちがふっと楽になった」。ダルビッシュからは栄養学を学んだ。「疲れが取れにくくなってきたと(ダルに)相談して、プロテインとサプリメントを3種類もらい、飲んでいる」
苦手だった刺身のおいしさに目覚めるほど北海道に染まった。「メジャーに行かなくて正解だったかもしれない。ヤクルトに残っても、この年までやれているか分からない。ファイターズが僕を変えてくれた」
自らも変革した。打率2割3分台に低迷していた移籍1年目の夏。苦悩の末、トップからそのまま始動できるように、顔の前に構えていたバットを後ろに引いた。ヤクルト時代は窮屈で拒んでいたフォームだった。「FA選手を取らないチームに、よく取ってもらった(FA入団は稲葉だけ)。早く認めてもらわないと。これでダメなら、もうダメだ」。打撃改造で活路を開き、翌06年から4年連続打率3割超え。07年には最多安打(176安打)のタイトルも獲得した。
春季キャンプ休日。初めて斎藤をゴルフに誘った。「昨年は騒がれて大変だったと思うし、様子を見た。でもコミュニケーションは大事だし、あいつの性格をもっと知らなくちゃ。淡々とやるタイプでおもしろかった」。斎藤を援護する思いも胸に秘め、今季25試合で34安打と突っ走った。
プロ入り後、昨年まで野村、若松、ヒルマン、梨田と4監督の下でプレーし、全員を胴上げしてきた。「栗山監督を胴上げして恩返ししたい」。少し潤んでいた稲葉の目は、すぐに白星を渇望した。