3月5日、母との広島旅行最終日

 

この日は香川に帰るが、ホテルをチェックアウトする前に、『平和記念公園』に行くことにしていた

 

日本に生まれて52年

 

emiemiは今までに一度も訪れたことがなかった場所だった

 

香川でも太平洋戦争の終わりごろ高松空襲というのがあったらしく

 

上差しemiemiの母は戦後生まれだが、母から聞いた話

 

emiemiのおばあちゃんは高松から疎開していてしていて、空襲にあわなかったが

 

いろいろと大変な時期を過ごしたであろう『emiemiのおばあちゃん』はまったく、そのような話をemiemiにしなかった

 

自分の『おじいちゃんおばあちゃん』からはもちろん、まわりの『おじいちゃん、おばあちゃん』からも太平洋戦争のことを聞くこともまったくなく、大人になったemiemi

 

上差し『おじいちゃん、おばあちゃん』が語りたくなかったのだろうか?今となってはもう聞くこともできない

 

まさに、戦争をしらずに成長し、平和ぼけしているemiemiは、広島に来てなにか、違う空気のようなものを感じていた

 

そして・・

 

広島には、なぜかキラキラ白人キラキラの観光客が多い

 

emiemiの住んでいる香川では圧倒的に中国人や中華系の観光客が多いのだが、広島ではキラキラ白人キラキラを多く見かけた

 

ホテルのチェックアウトが11時なので、朝8時にホテルを出発することに

 

私たちが止まっていた『ホテルマイステイズ広島 平和公園前』からは、歩いて3分で『平和記念公園』に行けるということを、2日前にお会いした広島在住のブロ友さんからお伺いしていたので、歩いていくことに

 

この日、残念ながら結構な雨が降っていたチーン

 

image

 

ホテルの方が傘を貸出してくださったので、それをお借りして、平和公園まで歩くことにしたお願い

 

ホテルから歩いてすぐで『平和記念公園』が見えた

 

 
ふと・・・川を振り返ってみる

 

 
なんとも言えない感情がわきあがる
 
『資料館』には事前にWEBで入場券を買っていたら午前8時に入れるらしいが、emiemiたちはそれをしていなかったので8時半の入場になるそうだ
 
しばらく時間があるので『平和記念公園』を散歩する

 

 
テレビではみたことがあった『慰霊碑』

 

 
実際に目の前にする
 
仕事に行く前の日本人サラリーマンの方々が何人も、ここで『祈り』をささげ、そして出社していくのを見た
 
 
ここで大変なことが起こった・・なんて言葉で終わらせられない、そんな気持ちになった
 
川の向こうには原爆ドームが

 

 
母の膝の調子がよくないので、近くまではいかなかったが
 
 
母もemiemiも子供たちも
 
『原爆ドーム』を見たまま数分間無言で立ち尽くした
 
『資料館』に入場できる時間になったので、もどる
 
 
『資料館』の中に入ると・・
 
キラキラ白人キラキラのおっちゃんが、写真を撮りまくっていた
 
emiemiも1枚だけ写真をとった
 

 

これが、昔の広島だったのか・・

 

すごくにぎやかで、栄えていたんだろうな・・

 

そして、この方

 

 
マレーシアの教科書にもでてくる
 
広島で被爆して亡くなられたマレーシア人留学生
 
『資料館』の感想は・・
 
一言では述べられない。ただ、人生のなかで、ここに来ることができてよかったと心から思えた。何も知らないままで、人生を終えなくてよかった・・と
 
『慰霊碑』に『お祈り』していく、出社前にサラリーマンの方にも衝撃をうけたが、まだ20代の若い男の子が一人で『資料館』に来て、『資料館』にあったノートに言葉を書き残している姿にも心打たれた
 
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