す私がマレーシアに来た2001年。しばらくの間、クランタン州の主人のお母さんの妹さん家族の隣の家を借りて住んでいたことがあった。
この時、主人は研修医。
今でこそ、医者の数は増えたが、その当時はマレーシア国内の大学に医学部が3つほどしかなく、深刻な医者不足。
そんな主人は一日を超えて、36時間労働をしていた研修医時代は、ほとんど家にいなかったし、マレー語も英語も話せず友達もいない私は、お家で一人。しかもその頃テレビも冷蔵庫もない生活を送っていたそんなんだから、何もすることがなくて一日中寝ていることもあった私。
マレーシア料理だって何一つ作ることもできなかったし、マレーシアに来る時はスーツケース一つのなかに自分が着るための服だけをもって、たった一人でマレーシアに来たので、日本料理が作れるような調味料ももちろん持ってこなかった、、、
優しいお隣のお料理上手なお義母さんの妹さん、つまり主人の叔母さんが私の生活を見かねて、食事をよく持ってきてくれていた。
彼女のマレーシア料理がまた最高に美味しい
さて隣に住む主人の叔母さん。私がマレーシアに住んだ当時は叔母さんの旦那様と高校生のお子さん1人とお孫さん2人と住んでいた。
お母さんはいったいどこに?
と思われた方がいるかもしれません、、、
この子たちのお母さんは、主人とは『いとこ』にあたるのであるが、ジョホール州にある学校の先生になるための教員学校で勉強するため、叔母さんに子供を預けて勉強していたのである。
ジョホールとクランタン州、、今は分からないが、当時はバスで20時間かかる遠い場所だった。
まだ若干20歳の若い、二人の子供のお母さん。
一度、マレーシアの大学の工学部に入ったが、若いゆえに恋に落ちた男性と大学を辞めてまで結婚し、うまくいかず、離婚をして2人の幼い子供と共に叔母さんの家に戻り、子供のためにちゃんとした仕事を見つけるため、教員学校に入った。もともと頭のいい女性だった彼女は、教員学校でも常に最優秀学生だったと叔母さんが自慢していたのを思い出す。
私がマレーシアに来たときに小さかったこの2人の子供たちは、家が隣同士ということもあり、主人がほとんど家に帰ってこなくて、一人暮らしのような私の家に次第に侵入してくるようになり、そのうち毎日のように遊びに来るようになった。
主人のいとこの子供たち、、
いったい日本ではなんと呼ぶのだろうか?
血がつながってないもんな~、、、
今では、この二人はお母さんの仕事についてマレーシアのクダ州に、私はボルネオ島のサラワク州に来て離れ離れになって、会えるのはマレーシアのお祭りハリラヤの時ぐらいしかないのに、連絡だけは頻繁にくれるのは本当に嬉しい
男の子の方なんて、今年はもう18歳。身長もマレーシア人では超ビックな180センチ。それなのに、ことし彼が専門学校に入る時に、私の住む『サラワク州の田舎町の専門学校に来たい』と言っていたほど慕ってくれている
幸せすぎるemiemi
そうそう、この子たちのお母さん、主人のいとこは数年前に再婚してこの子たちに弟ができました。またまた、姉弟仲良くしているところもとても微笑ましい。再婚した主人のいとこも幸せそうです
もちろん平等にプレゼントを贈ってます
一年に一回というのは、日本に一時帰国したときに彼らのプレゼントを買ってかえり、宅急便で私の愛をこめておくるのです
一番上のおねーちゃんは今20歳。料理学校を出て修行しております。彼女には日本の可愛い雑貨を送りました
気に入ってくれたようです