今日も行きてること。

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祖母が他界しました。

      

  

「亡くなった」と連絡を受けたのは、急変したと連絡を受けた2日後でした。

仕事中にかかってきた父からの電話に、すぐに分かった・・

スタッフや講師となんら変わりなく会話をしている自分自身の怖いぐらいの落ち着きと、どこかふわふわしたような、足が地についていないような感覚があったのを覚えています。

       

 

祖母とは一緒に暮らしていないし、家も近くない。

大人になってからは一年に一度会うかどうかになって、施設に入ってからはさらに遠くに感じていました。

『移設に入っているから』『仕事してるから』

それを言い訳に行こうとしなかったのは確かで、今日最期逢いに行く時はどこか後ろめたさも感じていました。

           

 

行けばよかった

     

 

祖母の葬儀は、『葬儀』という言葉のイメージとは違って、なんだか同窓会みたいな、あたたかい空気一色でした。

「大きくなったなぁ!」「久しぶりだなぁ!」

その言葉が飛び交う穏やかな空気と、本当に綺麗な、眠っているような優しい表情を見たら、今まで会いに行かなかったことを許してもらえたような気持ちになれました。勝手な解釈だけど・・・

              

なかなか理由つけて集まらないから、おばあちゃんが、みんなを集めてくれたんだなぁ。

          

           

野菜作りも、クラフトも、パッチワークも得意な人で、器用だったなぁ。

「これ、作った!いるなら持って帰っていいで!」

小さな体で、定位置にいつも座っていて、周りの話をじっと聴きながら、たまに話す寡黙な人。

でも話したら面白くて、冗談も言って、くしゃくしゃの笑顔で笑う人。

       あの笑顔、大好きだった。本当に、大好きだった。

                 

あー・・・なんで、もっと話さなかったんだろう。

                  

 

後悔しないように、いつも生きたいと思っているのに。

思いっきり後悔してる。

      

      

97歳。寝たきりもなく、大往生。

だからかなぁ。みんな、別れは寂しいはずなのに、どこか清々しい、いい表情してた。

逢いにいかなかったことだけ、後悔してるけど。

眠っているおばあちゃんも、清々しいいい表情でした。

   

   

最後まで退屈することなく、納骨まできちんと参加をしたこどもたち。

うちが初めて経験したのは小学校3年生だったから、この子たちの方が早いけど、

しっかりと手を併せてくれる姿に頼もしさまで感じました。

 

 

火葬の点火ボタンを押される瞬間。小学校の時の記憶と重なり、

当時父が涙をいっぱいにこらえながらボタンを押したのを鮮明に思い出しました。

 

その瞬間から、触れることができなくなる姿に変わる。

きっと、小学校3年生の時の自分自身もそう思って泣いたはず。

今回もそう。触れることができなくなると思うと、我慢できないものがありました。

     

    

 

きっと、時間が経つにつれて思い出が浮かび、現実になっていくんだろうなぁ。

 

 

もっと、人に逢おう。

もっと、話そう。

もっと、触れよう。

     

大好きな人はいつまでもいるわけじゃないから。

自分自身も、いつまでもいるわけじゃないから。

 

 

自分勝手も含めて、自分らしく後悔しないように生きようと思いました。