パエザーニ一家 | La vita è breve

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埼玉出身元トラック運転手。27歳で渡伊して料理人に転向。てんやわんやの末、東京フレンチ、医療の現場を経て大分へ移住。このブログは、37ちゃいのワタシがシチリア島で再出発する所から始まる壮大なストーリー。54ちゃいの今、更にてんやわんやである。

私がここリミニでいつも




のほほーーん


:*:・( ̄∀ ̄)・:*:





としていられるのは、


パエザーニ一家のおかげである。


イタリアとは、


お友達国家





有力者に知り合いさえいれば、なんとか生きていけるのである。


筆頭は、


93才になるノンノ。


ノンノはイタリア語でおじいちゃん。










こんなお茶目な車を乗り回す元気なおじいちゃん。




イタリアでは普通、人んちのおじいちゃんをおじいちゃんとは呼ばない。





名前で呼ぶ。






でもノンノはなぜか皆からおじいちゃん、ノンノ、とよばれ親しまれている。





去年最愛の妻を亡くしたが、まだまだ元気だ。





もともと建築関係の仕事で名を馳せていた。




あのムッソリーニの大邸宅も手掛けたそうだ。





2年間ムッソリーニ邸に暮らしていたのがノンノの自慢。




ノンノを慕う友人達も、


その時代の精鋭部隊ばかりで、


日本に縁のある人もいたりして、


彼らの話はかなり、かなーり興味深い。




たとえば船長さん。


いまでこそ、気軽に行き来出来るが、


当時は並大抵のことでは無かっただろう。


息子の代になって、海岸沿いのホテルやレストランの経営に変わったが、




いまでもローマ時代縁のリミニの中心に住まいを構え、


古き、良き時代に思いを馳せている。



あのユリウス・カエサル


英語的に言うとジュリアス・シーザーが、


サイはなげられた。”


と言った、ルビコン川近くの街。




この時からローマ帝国は帝政の道を歩み、


飛躍的な発展を遂げたのである。


2000年以上の歴史がある。


そして2008年、



このノンノの孫、


パエザーニ3兄弟が、リミニの街をブイブイ言わせている


ホントは男ばかりの4兄弟だったのだが、、。


去年、長男を亡くしている。




2001年、日本。



当時勤めていた丸の内のレストランから、


愛車“スーパーカブ”で疲れ切って帰宅した直後、



一本の電話が鳴る。


電話




イルデだ。


“エミコ!!助けてちょうだい!!日本食を作らなければいけないの!!お友達いないかしら!?スシよ!サシミよ!!”





初め、何を言っているのか解らなかったが、


パエザーニ3兄弟の長男、クラウディオから依頼を受けたらしい。


その頃から日本食に目をつけていたクラウディオ。



もちろん既に欧米で日本食ブームは来ていたものの、


こんな田舎町でそれを始めたのはすごい。







インターネットで彼のレストランを見てみると、





一糸まとわぬ女性の裸体に海苔巻きが、、、、。





、、、、、、、女体盛り!?


Σ(・ω・ノ)ノ!




なんで海苔巻き!!??
















あの画像の真相は今だ触れられずにいるが、


それがパエザーニ一家との交流の始まりだった。







2001年夏期、2003年冬期と、クラウディオのもとで働くことになる。

























イルデはパエザーニグループの総料理長に就任。





2003年、chiburdlazを開店。












今ではリミニで一番活気のあるお店、と自負しているが、





同感。(・ω・)/





従業員一人一人の勢いがいい。













次男の率いる系列店のナイトクラブ “COCONUTS”も、


今年、1000人収容出来るダンススペースとレストランスペース増築。








寿司バーも併設し、


暑い夏をおくった。


今や、リミニを訪れる若者で、この店を知らない奴はいない。









そして今年開業の3男率いるSOUVENIR




ぶちゃけ学生気分の抜けない奴だが、


それでも育ちの良さは争えない。


風格は十分すぎるほどある。


今後、どう化けるか、。


期待しよう。




















そんなわけで、この不景気ムードを気にもせず、


躍進中のパエザーニ一家。










我こそは、と言う日本料理又は寿司職人さん、


このブログにご一報を。










暑い夏を、


リミニで過ごしてみませんか!?