日々思っていたこと。
「上から目線」って言葉について言いたいことがある(今日はちょっと攻撃的)。
目の前にいる人を、励まそうとして言った言葉が、その聞き手の人には「上から目線じゃん。」って思ったとして、
でもこちらはその人を純粋に励ましたいわけだし、
それなのに嫌な気持ちにさせてしまったら、それはいけないことなのだろうか。
それについてある人は「空気を読んだ方がいいってことじゃない?」と言ったのだけど、
それは、相手が求めている言葉をかけることみたいだけど、
それってなかなか分からないし、
極端な話、自分の意見じゃなくなるようなことがある気がしてならない。
相手が求めている言葉を言えるようになるのって、
何年も一緒にいるという関係じゃなきゃ難しい気がするし、
それでも難しいし、
しかも、これも極端な話、
初対面でも会話をするわけで。
「空気を読む」ってのは、何人か人がいて、集っていて、
方向性を守るというか、腰を折らないってことだと私は思っている。
それと、「上から目線」にしても「空気を読む」にしても、
こんな言葉作ったのだれだ!!!
嫌な言葉作らないでください。
上記とはまるで関係ないのですが、
私は今まで、仕事にやりがいはもちろん「生きがい」まで求めていて、
でもそれ、やめることにしました。
川田亜子さんの一件で、2週間考えて出した結果なのです。
私は、興味を持ったことを仕事にしたい人間で、
10代後半からずっと走ってきました。
20代真ん中までそれは役者の道で。
役者の道を諦めたら、それはそれで「書く」ことを仕事にしようという情熱がわいてきて。
それがどうやらコピーライターで、そうと決まったら走りまくって、
それでここまで来たんですね。
だけど、なんかいろいろあって、疲れました。
仕事がふいに暇になってしまうと、不安でしょうがない。
転職まで考えてしまう私。
もっともっと・・・と、それは上昇志向が強くて。
人の言うことを聞きすぎてしまう真面目さ、
人の言うことを真に受けて気にしすぎてしまう繊細さ、
これらを持っている人が仕事を生きがいにするのは難しいのではないかと。
恋人は裏切っても、仕事は裏切らない、やったぶんだけ返ってくる、
そう思っていたけど、
間違ってはいないけど、
仕事は理不尽なことが多すぎる、
沢山の人が船を漕いでいて、
その中に、お家事情があったり、くだらん派閥があったり、
正義とか情とかとは正反対の世界。
それらを真に受けてしまう人、
傷ついてしまう人は、
仕事にやりがいを求めてもいいけど、
生きがいにしてはダメだろうと、
ようやくわかった。
「自分さがし」ってのをしたことがなく、
常に何かしら興味を持って生きてきたけど、
ここにきて、三十路になって、
初めての自分さがしってやつです。
趣味ないので。
趣味の延長が仕事みたいなものだったので。
コピーライターの仕事はしているけど、
それでも今の状況から、
違う職になるかもしれないし、
会社自体とさらばしなきゃならないかもしれない。
でも、仕方ないな。
逆らっても、理屈で唱えても、
どうにもならないことが多いから。
だから、もう生きがいにはしない。
そう思ったら、心が軽くなってきて、
なーんか今まで頑張っちゃってたんだなあと。
東国原知事ママの言葉
「ゆっくり歩け、空を見ろ。」
焦らずに、ゆっくりと、それこそマイペースでやっていこうかと思います。
