歩きながら、「健康ってなんだろう」「我慢ってなんだろう」という思いが溢れだしてとまらなかったので、
ランチに入ったお店にて徒然なるままに書き留めておきます。
「我慢」や「努力」という言葉が実はあんまり好きではありません。
それにプラスして、昔は「頑張ってね」というエールの言葉が大の苦手でした。。
これらは、私のなかにおいては、窮屈に感じてしまうものだから。
私は昔から100を求められていなくても、100いや、それ以上の120をみせないとダメなんだという強い思いが根底にあって、とにかく頑張るというスタンスが勝手にできてしまいます。
よくみんな、うまく手を抜くということが私にはできなくて、手を抜いたらゼロになってしまう
つまり、だらけた、だらしないことになってしまう、、
という自分の中で作り上げた思いが常にありました。
だから
常に全力で!
我慢もして!
努力は怠ってはいけない、、
そんなことばかりが脳裏にはありました。
「我慢する」とは一体どういうことなのか?
歩きながら考えてみました。
●本当はやりたいのに、やらない
●本当は欲しいのに、買わない
●本当は言いたいのに、言わない(言えない)
我慢は必要なこと、でなきゃワガママな子に育ってしまう。。
幼少期に、親から我慢することを教えられたのでしょう。
もちろん生きていく上で、我慢することを放棄してはいけないかもしれない。
でも自分を律してまで、我慢する必要があるのか・・
我慢は蓄積されることで、カラダ(こころ)にも影響を与えていると思います。
24歳のとき、毎日毎日我慢して仕事をしていました。
ほんとうに、ほんとうに過酷で、それでも我慢は必要だ!耐えなくてはと自分を奮い起たせ、会社へ行ってました。
辛いということも、言わない(言えない)
自分の中で我慢すればいいんだ、そんな思考になってました。
すると、数ヵ月後から、カラダ(こころ)も弱ってきていました。
それでも、わたしは自分の内面を見ようともせず、外からの治療ばかりを探し、それにお金をつぎこんでいました。
顔中がニキビだらけ
不整脈
のぼせ、、、
カラダは一生懸命サインを出していたのにも関わらず、私はそれを見てみぬふりをして、とにかく我慢し続けていました。。
もう限界…
と自覚したころには鬱の症状になってました。
今まで、頑張ることが私にとっては生きがいとまで言えるくらい、何でも一生懸命やってきた
だから、今回だってやり遂げられる、いまは我慢のときだから頑張ろう。
そんなことばかり思ってたんですね。
心身共にボロボロになって
はじめて分かることもあります。
カラダは敏感なんだということ。
頭では、まだ大丈夫!いける!と思っていても、カラダはそんなに強くないんです。
一生懸命、一生懸命、思考通りについていこうとしても、無理なときはムリなんです。
健康的なものを食べているから大丈夫!というわけでは決してないということ。
我慢がときには、取り返しのつかないことになる可能性もあるということ。
カラダとココロは共存しています。
いまいちど、自分自身にも、そしてこのブログを読んでくださっている方にも、考えてみるキッカケをつくりたくて、綴ってみました。
いつも、ありがとうございます☆
藤本恵美子
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