ホリエモンとの食事券10万円は高い? ネット時代に高まる「人と会う」価値 | THE PAGE(ザ・ページ)

http://thepage.jp/detail/20140605-00000001-wordleaf


昔、


「俺と遊びたいなら、10万円積め」


と、タカル女に云う紳士に会ったなぁw

で、30万円以上の遊びを提供したとw


「身体磨いて、頭鍛えて、それなりに稼げるヤツとしか遊ばない」


って言い切れるのは、有る意味、カッコイイかもwww

その後、その方の力で、あちこちへとブッキングする事をしたから。

芸能系怖いと思ったwww


なので、お食事会に10万円は、満足と、なんらかのブリッジがあるなら、まあ、あってもいいと思うの。

ホリエモン云々ぢゃなくて。


片手なディナーは、普通にあるから。


いいぢゃん、ディナーショー出来る景気があるってことだからwww

私は同じ10万円使うなら、ドレス着て、プラチナシートで好きな舞台観て、ディナーして、アフターはシャンパン飲みに行って〆たいけれどw

以下、Facebookで「いいね」を112件頂きました投稿なのですが、プレイヤーさんや支持者が多いようです。

みんな、なんか違うと、若者達に違和感を感じていたのですね。

そして、自分の子供世代と云う事実に目を伏せたくなって、言葉を飲み込んでいたのかもしれない。

バブルが弾けて、プアーな時代に幼少期を過ごした若者達に、見栄を切っても整えるべき体裁と応援があると教えるのは、身を持って体現するしかない。

さあ、粋な大人の復権である!




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今の若者には、いちいち教えてくれる「うるさい大人」がいない


これが、平気で30代以上でもやる光景で、本当に愕然とする。
こんなみっともない、安っぽい男と一緒にテーブルなんかにいるのは本当に嫌だ。あり得ない。

例えば、LIVEに招かれたとする。
懇意にしているアーティストなら、幕間毎に、一杯二杯、オーダー入れろよ。
幕間に、アーティストに好きなものを、一杯ご馳走しろよ。
飲みきれなくても、ボトル入れろよ。
グラスを持ってきてもらって、アーティストにご馳走しろよ。

このアーティストを呼んだら、我々は間違いなく来るよ。
金を落とすよ。

店側にアプローチすることで、またそのアーティストを、店は呼ぶ。
安っぽい、ケチくさいオーダーをする客が付いているアーティストを呼んだとて、店は客単価が上がらない。
ライブハウスを経営難に追い込み、アーティストを食えなくさせるのは、そうした金の循環を知らない、安っぽくて野暮ったい人間のせいである。
好きな奴らのために、財布開く気概も知ら無いくせに、先輩後輩友達面して店に乗り込むな。
連れ立って行くなら、席を用意させるなら、アーティストに恥かかせるような客になるな。

少なくとも、私は、音楽に触れている子達にはそう伝えている。
父が興行の仕事に噛み、スポンサーしたりした経緯もあり、芸能畑、興行関係には知識と経験があったからである。

野暮ったい、安っぽいオトナになって欲しくはない。

堅実に倹約を旨として欲しいと思っている。
それは、使うべき時に使う金を、生き金を動かせる人間になって欲しいからである。

テーブルを淋しくさせないこと。

きらめきが無いテーブルは、席を明け渡す合図だからである。


みっともないオトナにはなるなよ。


私が若い人たちに贈る言葉は、集約すれば、それだけである。

天皇、皇后両陛下のパラオご訪問を検討


国母の存在は大きい。


苦難に立ち向かい、心折られて折れても歯を食い縛り、悼み傷む人達の為に敢然と、そしてたおやかに慈悲深い微笑みをたたえて、国の象徴に寄り添った女性の存在は、どの国からも、どんな人達からも敬愛と親しみを頂ける誇れる存在である。

そして、陛下は伴侶として、それを支え続けた。

決して伴侶として、失望させなかった。

だから、美智子皇后は、いま、斯様に佇まいを保っておられるのだろう。


この方に続く、国母となり得る次代が存在しない。


そのことが、ご高齢の両陛下のご登壇を止められないことなのではないかと思うと、切なくなる。


妻であり、母であると共に、国費で存在する公人であると云う覚悟と為すべきことは、尋常ではない重圧の筈だ。


美智子皇后の跡がいない。


このことは、皇室に大きな影響を及ぼしているのだろう。



嫁と云う字は、家を背負う女と書く。



嫁の覚悟は、家の栄枯を左右する。

そのことを改めて自覚したい。


全ての覚悟と選択肢は、次代を育む機能を備えた女性にある。

男を産み育むのも女。


敬われる女性でありたいものである。

教師は自分の子供の入学式を優先すべきだ | 東京に住む外国人によるリレーコラム | コラム&ブログ | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

http://m.newsweekjapan.jp/column/tokyoeye/2014/06/post-839_1.php


やはり、違和感があるなー_| ̄|○


ノブレス・オブリージュは、英訳すればnoble obligement。

起源はフランス語だったと記憶する。


教師の生活が豊かであるとは云わないが、



聖職者



として、長く権威と尊敬を集めてきた職業である。

教育者の子供が忍従を強いられているのは、友人家族を見て知っていた。

子供が捻れて苦労されている先生もいた。

でも、大多数は、親を尊敬し、職務に粉骨砕身する姿に、大人になって振り返った時、改めて頭が下がったと言っていた。


自分達の行事には、祖父母が来ることが多かったが、それはそれで、祖父母や周囲には気の毒がられて気を遣われて、オイシイ思いもしたと笑っていた。


教師の子供達と机を並べる同級生は、自分達が何かやらかすと、同級生の親である先生を足留めさせてしまい、帰りを遅くさせてしまうと想像するから、なんとなく、意識する以前に、自然と、規律を慮った。

自分達の為に、教師の子供は、淋しい思いをしているかもしれないと、推察する優しさがあった。

多分それは、時代と環境と、PTAと教育委員会の関係が調和していた時代だったかもしれない。

大体、教師に殴られたと、学校の公衆電話で親に泣きつき、駆け付けた親に、


「何やって殴られたんだ、テメーッ!」


と、子供がボコられて、職員室から教師達が飛んできて親を止めるなんてのどかな光景、現代ではありえまい_| ̄|○

教師も、生徒達の為に、職業倫理の理想を遂行し易い環境であったから、愛しい我が子に申し訳ないと頭を下げても、他人の子供達の為に、“教師”を貫こうと云う意気込みと自尊心を保てたのかもしれない。


そうして、考えてみて欲しい。

同じく我が子を優先すべしと言い切った時、目の前で助けを求める事故や災害被害者を打ち捨てて、警察官、消防隊員、自衛官、医療関係者などが、職務放棄して持ち場を離れた時、それは致し方ないと容認されることだろうか?


入学式や始業式などは、社会に出た時の、会社における、


新規事業旗揚げ


であったり、


合弁始動


のような、キックオフの要項に当たる。

誰が頭で、誰に付き従い、誰を率いなければならないのかを互いに見交わし、確認する起点である。

社会の規律に触れさせる一歩である。

誰がいなければいけないのかは、明々白々ではないか。

そこを屁理屈捏ねてファジーにするから、就職してからも締まりがなく、だらだら子供じみた理屈で出社拒否したり悶着を起こす。


たかだか零細企業の経営者でも、仕事の為、社員の為、取引先の為に、家族サービスを急遽取り止めにすることなぞザラであった。

それを忍従したと云えば云えるかもしれないが、仕事の為、その為に働いてくれる人達の為に、その恩恵を蒙っている我々家族は許容すべきことだと理解していた。

淋しく悲しく無いわけではなかったが、そう云うものだと理解し、他に選択肢を探す術を身につけた。


親も子供も、随分幼稚な日本になったものだ。

そりゃあ、経済力も弱まるわ。








かと云って、我慢して当たり前なんて云ってはいない。

そのリスペクトはもちろんやるべきだし、互いに共存する為には、やはり当たり前に、敬意を持ち寄って生活すれば、こんなことがクローズアップされることもなかったろう。

これは、モンスター化したPTAと、躾もされていない獣を押し付けられる教育現場の、有る意味の反乱だとも思える。

その裏側の事情にこそ、注視すべきではないだろうか?

パティシエせっちゃんから、キャラデコケーキをどう思うか尋ねられた。


私的には、


肖像権&著作権問題


が、あると思う。


好きかと問われれば、


キライ


で、ある。

まず、綺麗ではない。

絞りの技術を筆頭に、デコレーションの職人芸を放棄して、なんでそんな汚いもの作るのかと問いたい。

カーネーションやプードルを模した、造形デコレーションは別である。

あれは誠に美しい技術である。


そんな職人の修練の結実でもない、塗り絵のようなキャラデコケーキなぞ、私が子供からねだられたら、全否定である。


安いキャラクターシューズを、向こう何年履く?


と、問うだろう。

運動以外、私がそうして育ててもらったように、革靴しか履かせんぞw

{2B66CC56-76E1-48F9-B2B8-F80256F7F6C5:01}

私が生まれた時、父はウエディングケーキを、産婦人科の院長家族と、病棟スタッフにプレゼントしてくれたそうである。

以来、私の誕生日には、そのケーキ屋さんのショートケーキが添えられた。

私は結婚願望皆無の人間だったが、結婚するなら、その時は、そのケーキ屋さんのご主人に作って頂きたいと思っていた。

生まれた時から嫁ぐ日まで、またその先も、同じ職人さんや、その弟子達のケーキが家族の歴史に添えられるなんて素敵だと、自画自賛の妄想をしていた。

残念ながら、そのケーキ屋さんは私が学生時代にご主人が亡くなり、立地の良い場所だったので、立派なビルになってしまった。

私の妄想は絶えた訳だが、毎年祝う席で、変わらず添えられたケーキの向こうの私は、毎年成長している。

そんな写真が、私は好きだったし、毎年頂くショートケーキは、とても楽しみだった。

毎年気を抜かず、また一年元気でと、メッセージやオマケのケーキやクッキーを添えて下さったお店とのお付き合いも嬉しかった。


父は、職人さんを裏切らなかった。


子供だから移り気で、たまには他のケーキもと思うこともあった。

父は、違う日に買ってくれたが、誕生日だけは絶対に、その職人さんのケーキを選んだ。

生まれた時に祝ったケーキを、毎年変わらず作って貰う。

父にとって、儀式のような気持ちだったのかもしれない。



嗚呼。

今年も無事にオーダーして、祝ってやれる。



私はそれ位、体が弱かった。


一歳まで生きられないでしょう。

三歳までは難しいでしょう。

五歳までは…


命をカウントしながら育ってきた。

だから、誕生を喜んでウエディングケーキを作って貰ったケーキ屋さんに、毎年変わらずオーダーするのは、命をカウントするようなものだったのだろう。

そんな気持ちに応えて作ってくれる職人さんに、父は感謝していた。

ことあるごとにそこを利用し、お使い物にした。

気持ちで繋がるのが、客と職人なのだと、私は父の姿勢を通して育った。

スーツやシャツもフルオーダーの人だった。

だから私は、職人に敬意を払うが、職人を見る目も相当厳しい。


デコケーキを嫌々作っているパティシエも多いと聞く。

それを否定したら、商売にならぬから、仕方なしに作っていると云う声が少なくないと。


論外である。

客に、技術と味を買って貰えていない証明である。


毎年、ここのを楽しみにしている。


そうした客を育てられない無念さを表すべきであり、嫌々作っているなんて、口が裂けても云うべきでない。

客側にも、非常識極まりないのがいるが、それが大多数ではない。


「あなたの味を求めて来た」


そう云われる悦びを求めるべきであるし、そう伝えられる職人のものを、口にしたり身に付けたいものである。


舌に残る思い出は、人生に寄り添う。


そうした記憶を積み重ねられる出逢いを、私は求めたい。