京都の市バスで足の不自由な女性を介助しようとして罵倒された運転士が気の毒だった件 - 榊 裕葵(シェアーズカフェ・オンライン) - BLOGOS(ブロゴス)

http://lite.blogos.com/article/90162/


同意。

良識と善意と社会性を否定して、経済活動を阻害してはならない。

例えば、子供の粗雑さ一つでも、現代、おかしくなっている。
躾の不備を、社会に寛容であれと屁理屈で押し付け、忍従を強いる父兄の多さに呆れる。

「空気読め!」
「人としてあり得無いだろう!」

と、育てると、きちんと環境に適応して過ごせるようになる。
Pastelaria五條の看板息子ハル、母親せっちゃんから以上に、私や母、バイトちゃん達から、社会性を求められ、それ以外許されず育つ。
と、敷居の高い場所ほど、マナー良くいられる。(お子様時間のタイムリミットはあるが)

「親に下げなくていい頭下げさせて、恥ずかしくないか!!」

と、二、三歳のハルが、震え上がるほど叱り飛ばしたことがあったが(普段怒鳴らないので、効果的。で、ちびっていたらしい)、言葉の内容まで理解しかねても、

何をしたから
これだけ怒られる
全身から怒りが放出されている
許されない。マズイ!

と、シナプスが繋がれば、幼児でも同じ過ちは繰り返さない。
しかし、二、三歳の幼児が、眠気でくずったり、甘えられる母親とばあば相手にワガママをやらかすのは止むを得ないことである。
しかし、しかし、公共機関や場所で、キサマ、大概にしろと云う時(私と二人の時にやらないのは、やったら棄てられると云う危機感が彼にはあるからである)、私が無言で首根っこひっ捕まえて側にこさせたり(この時点で、ハルは冷静になっている)、一言、名前を呼ぶと(ホントに名前を呼んだだけである)、5メートル圏内、一気に子供に同情的になる。

「子供なんだから、しょうがないよ」
「みんな越えてきたんだから」

と、取りなす声と気配が発生する。

これが、

社会の中での寛容

である。

こうしているんだから、
こうまでしているのだから、
ここまでは許してあげようよ
ここまでは認めてあげようよ

と、周囲が能動的に容認して、初めて寛容となる。

「子供なんだから、仕方ないでしょ!」

と、開き直る人に、この寛容さは生涯与えられない。

権利を主張するなら、他人の権利を阻害してはならない。
助力を強要してはならない。

そのことは、全てに通じる。

非常識な親子のせいで、常識的な親子まで、利用施設を制限される。
非常識な身障者のせいで、社会性を尊び、交友関係の円滑で豊かな人まで、その仲間まで、肩身の狭い思いをする。

すべては、

社会の一員としての存在としての謙虚さと、果たす義務の認識の無さ

が、生じさせる軋轢と不幸。

求める前に、リスペクトしているか、考えてみるといい。

「米軍が度肝を抜かれた自衛隊のエピソード」 |Ich bin Japanerin|Ameba (アメーバ)

http://s.ameblo.jp/seife/entry-11584506680.html


ふざけているように思うかも知れないが、なんか、Pastelaria五條で恒常的に拝見している方々を思い返すと、とても納得するw


他者の操縦が信用ならなくて、飛行機が嫌いなパイロットや、落下傘の降下訓練は二度とやりたくないと云われる方や、合同訓練から帰国したら、ロブスター様と呼ばれる海自の方なぞ、彼等の感性は可愛らしいwww


有事の時はスーパーマンだけれど、日常は、とっても優しくて、とっても義理堅くて、遠慮しいで、オモシロイ、当たり前に隣にいてくれる人達だと、もっと親しく彼ら、彼女たちを、紹介してあげて欲しいなー。

そうしたら、彼らを置いてきぼりにして、言葉遊びのような閣議決定や、有事の際、もっと彼らの働きを上げられるパートナーシップが取れるのに。



「安心して眠ってください。僕たちが守っていますから」



おどけて言った幹部自衛官の言葉を、私は繰り返し引用する。

知って欲しい。

有事の心得として、彼らの寄る辺は、


国を守る

国民を守る

ひいては、

家族を守る


そうしたシンブルな、人間として大切なものを守ろうとする、根源的なところにあるのだ。


訓練さえ、死と隣り合わせだからこそ、笑い飛ばせばネタになる。


そんなことを垣間見て笑えるのだけれど、切なくもなる。

他の国のように、国防を担う人達が、尊敬される国になりますように。


「集団的自衛権」のリアル――自衛隊の戦略的活用を考える

政治的な解釈は、書こうとは思わない。
ただ、別の視点から、心情を吐露してみたいと思う。

自衛官や、防衛省の事務官。そうした方々の仕事への思いを、覚悟を、日々、耳にする。
決して、省外に聞かれて困るネタは話され無い。
その徹底ぶりは、確かによく訓練された方々だと思うし、余程に民間の方がルーズで、内部統制やコンプライアンス畑の人間からしたら、回し蹴り食らわしたい気持ちにさせられることが多い。実際、私、知り合いの企業の社員さん達が、私との関係を知ら無いで(取締役以上としか仕事しないから、一般社員は知る筈もないが)たまたまご宴会入れてくれた時、余りに守秘義務垂れ流しで、宴会終わった途端、役員に電話したことが数回ある。
情報漏洩は、大概飲食店で為されるってことを、無頓着過ぎである。
一方で、幹部自衛官の方々が、時事的な事柄や、過去の、もう既に公となり、回顧録のように書籍になっているネタを口にされる時、当時、彼らがどう感じたか、どう行動したかを耳に出来て、頭が下がることが多い。
この、当たり前に血の通った彼等の、制服を脱いだ時の人懐っこさや義理堅さ、お間抜けな位に愉快な人柄が、任務に当たった時、

国民のために

と、血肉に染み込ませた意識で身体を張るのだ。
右だ左だ、護憲だ改憲だと、雑音の矢面に立たされる人達こそが、実はとても中立的に、憲法と国防概念に基づき、事象を、国政を見守っていると知って欲しいと思う。
(時々ぶっ飛んだ人もいるが、純粋培養であったり、孤独であったりで価値観にフィルターが付いてしまうと推察される)

当たり前に隣りにいる人が、当たり前に笑いあえる人が、ひとたび有事で身体を、命を張る。

この人達の命を、誇りを、護れる国ですか?
この人達も、日本国民だと云うことを、忘れていませんか?

その点からも、余りにもお粗末な政治利用に感じる。

「家族に優しい職場づくり」は贅沢なサービスではない。基本的ニーズである。



制度がどうとか

何してくれない

あれしてくれない

これがないからダメだとか


目の前で、


腹空かせて泣き

オムツ汚れて泣き叫んで

具合悪くて息も絶え絶えで


って幼子に、行政や他人のせいにした台詞吐けないよね。納得させられないよね。


なんとかするのは自分。

なんとかしてあげたいと思うのも自分。


「私が守ってあげなくちゃ」

「女房子供のために」


と、親としての努力と家庭防衛に勤しむ人に、当たらぬ光明はない。



こう努力した


でも、個人の努力には限界が


行政サポートを求められないか?



こうした、努力の賢者の働き掛けが、行政を動かしてきた。



何かをしてくれと望むなら、


何が必要だ


と、言い切る過程が必要なのだ。

それは、経験と実証。


子供の為に限らず、仕事にもそれが言える。


正しくそれをやり切り、掌にそれを載せて交渉する人のそれを汲み取れない行政や会社や組織や家人なら、それこそ無用の長物。

事象と努力と機微を汲み取れぬ人間に、仕事が出来るはずも無い。


「オシメ変える覚悟がないなら、部下も役職も持つな」


クライアント先で、ミドルマネジメントの面接につく私に、必ずそう凄まれる輩がいる。


意図を汲み取らねば働きを伸ばせない組織運営を余儀無くされることもある。

上司の意図を汲み取れぬ部下が多い時代、その覚悟がなければ組織運営は成立しない。


だから苦労の事象を語る時、プロセスを開示して嘲笑されないことが求められるのだ。



家庭を見て、その人となりを信用する。



昔から、経営者や金融機関はやってきた。

当たり前のことである。


システムに振り回されず、血の通った結び付きを復活させれば、狭い日本は機能的になるはずなのだ。

塩村文夏都議が外国特派員協会で会見 「他の人も名乗り出て」【 セクハラやじ】

http://m.huffpost.com/jp/entry/5524256


男性社会に物申すには、薄いなぁ。

本日、故あって、外資系の管理職の方と、国内メーカーの管理職の女性と話をした。
一人は、女手一つでお子さんを育てておられると云った。
お二人とも、会社と同僚に恵まれ、男女の性差を意識はすれど、差別は感じないと云う。
むしろ、セクハラ、パワハラを魔女狩りのようにヒステリックに注意喚起してから、男性が命令や注意すらしずらくなって、女性達が、傲慢であったり、男性蔑視の発言をすることに、眉を寄せるとおっしゃられた。
そして、そんなに侮蔑される女性が、本当に多いのか疑問であると云う。
それは、彼女達の環境が、とても幸運で有り、また、その幸運を当たり前とせず、後を続く女性を考えて、自らを処されて来られた人柄にもよると思う。
女性の働き方を理解し、応援してくれる伴侶や父親、会社、同僚の男性達。
男社会の逆風を和らげるよう、盾になってくれた上司や、引き立てられるよう、評価をくれた取引先。
圧倒的に男性が多かった。
確かに、悔し涙を流し、胃潰瘍作るほど憤怒して乗り越えた差別は確かにあったけれど、女性が女性への妬みや嫌がらせよりは、仕事の内容に起因するものだったから明瞭であったと。

「日本の男性は、そんなに無能で無理解でしょうかしら?」
「非常に心外です」

一線を走ってきた女性達が、しなやかに男性を支持する。
この女性達は、当たり前に男女が仕事をしやすい組織環境を作れているだろうと、爽快感さえ吹かせて下さった。

外国特派員協会でのインタビューの顛末を見て、それぞれからメールを頂いた。
私は不快感満載な質疑応答だと感じたが、彼女達もそうだと云う。

「日本の男性が、無理解で女性蔑視の生き物だと、全てそうであるかのように云われるのは、甚だ遺憾であり、時代錯誤の偏見に満ちた、彼等の見識を疑う」

との旨の感想を頂いた。
そうだよな。
十把一絡げで、失礼だよな。
そして、日本の女性が、虐げられるばかりの、戦う術も知ら無い無能者だと揶揄されているようで、本気で腹立たしい。

能力の高い女性を讃える男性はいるし、男性と共闘する女性は存在する。
互いに敬意を持ち寄って仕事をする環境が皆無のような物言いは止めてくれ。
見たことがないなら、それは、その域に達した仕事が出来ていないことが要因かもしれまい。

外国に、日本の女性が戦う術も知ら無い非力な無能者だと、アナウンスするのは止めてくれ。