昨日は3.11でしたね。青森は朝から猛吹雪!とても冷え込んだ1日でした。昨日はお友達の誕生日が2つあり、愛をこめてメールしました。四年前のあの日もお誕生日おめでとうメールを送り終わったらグラッときて、大惨事を目の当たりにしました。そして人生感がガラッと変わりました。毎日毎日を大切に生きる!自分を大切にする!昨日はまた決意を新たにしました。



義経伝説その2

八戸で心も体も癒やした義経は 北海道を目指して旅立ちます。
青森県の津軽半島の北のはずれに竜飛岬があります。
竜飛の名前の由来は義経が龍になり北へ飛んで行ったといういう言い伝えからきていると言われています。実際竜飛岬には義経寺をはじめとする義経ゆかりの史蹟がたくさんあります。

義経寺の前に厩石(まやいし)公園がありそこには厩石(まやいし)と呼ばれる大きな岩があります。

義経一行が北海道へ渡ろうと本州最北端、竜飛岬のあたりまできた時にしけが続き荒れ狂う津軽海峡に阻まれ困惑しました。

義経は岩に座り観音様に3日3晩祈り続けた。するとどうでしょう?海は静まり岩の洞穴に三頭の竜馬がつながれていて義経一行はその竜馬に乗って海を渡ったという。

以来、この岩を厩石と呼び この地を三厩(みんまや)と呼ぶようになりました。
厩石の前に静御前と義経の龍神搭がたてられている。

この地にはたくさんの義経のゆかりのものが点在しています。
竜馬にのり北海道の
福島町に渡り日本海側を松前、江差、洞爺湖…とドンドン進んで行きます。
平取町は北海道では最も伝説が多く義経資料館もあります。
この地では、アイヌの酋長のもとに定住しアイヌの神、カムイとして尊敬されたという逸話が残っています。

北海道ではアイヌの人々との関わりや恋愛、黄金伝説など実に多様な逸話が残されています。

川上という意味のアイヌ語でベンケや弁慶という地名、ホンカンカムイ(判官カムイ)など義経をさしているであろうアイヌ語が多数あります。

義経一行は北海道でアイヌの人々と深く関わりながらたくさんの逸話を残しつつドンドン北上し北海道の北のはて稚内から大陸目指して旅立ちます。

義経は1159年の生まれ。チンギス・ハンは1158年~1162年頃と言われていてこの二人は同一人物だと仮定できるでしょう。

チンギス・ハンは旧名をテムジンというがこれは日本での偉い人、天神様がなまったのではないかと言われています。


また蒙古史で伝説的なチンギス・ハンの前半生に関する部分は日本の源平合戦の各場面とそっくりな場面がいくつもの登場します。

蒙古語は日本語と文法がほとんど同じだと言われています。また食べ物、着物、相撲など蒙古人の風俗習慣は日本の鎌倉時代の風習によく似ています。

チンギス・ハンはその生涯を通じて九という数字にこだわっていたといわれています。義経の別名は九郎といいます。

チンギス・ハンの孫フビライ・ハンの代になりモンゴル帝国の国号は元となりました。この元は源氏のゲンを当てたものだと言われています。
また時代が下がり中国王朝の清の皇帝は自らはチンギス・ハンの子孫であるといい私の姓は源であり義経の末裔である。先祖は清和源氏からでているため国号を清と定めたと記している。

以上か義経=チンギス・ハーンという壮大な伝説の概要である。

個人的にはこの伝説が大好きであり、兄に迫害されたがたくましく仲間とともに生き延び青森、北海道にたくさんの逸話を残し大陸にわたり大陸を雄々しく駆け回りその力を思う存分発揮した青い龍
。義経=チンギス・ハーンが大好きです。

青森県には新郷村にキリストの墓があり十字架の貼り付けを逃れ青森県にやってきて子孫を残したといわれる伝説があり十字架を囲みキリストを敬うキリスト祭りが行われています。
このように私のすむ青森県は 不思議な伝説の宝庫なんですよ!(b^ー°)