1945年
私はお屋敷に戻っている。エドが行方不明との知らせを聞いて、奥様は体を壊した。特に心臓は相当弱ってしまった。
母はこの時こそ恩返しの時と、私を呼び戻したのだ。私は村の診療所に勤めながら、奥様を看ている。少し無理をされると、体調を崩しやすくなっていたので、常に様子をみていなければならなかった。
その日、私は休みで洗濯物を裏庭で干していた。
6月の朝、気持ちの良い風がそよぎ、庭には私の名前の由来となった薔薇とリラの花が、咲いていた。
エドとマギーがいなくなったお屋敷には、旦那様ご夫妻と母と庭番しか住んでいない。あとは通いの料理女がいるだけだ。だから大きな洗濯物は、休みの日に裏庭いっぱいにひもをわたらせ、私が洗って干すのだ。
夢中で大きなシーツを紐にかけようと、腕を伸ばしきって悪戦苦闘していたら急に濡れて重くなったシーツが軽くなった。驚いて後ろを振り向くと、エドが私の背中越しにシーツを広げている。
「エド!」
生きていることは、知っていた。去年の秋の終わりに連絡が来ていたから。でもフランス語が堪能で優秀なパイロットのエドは要人専用の飛行機のチームに選ばれ、私たちのもとに帰ってくることはなかったのだ。
エドはやつれていた。細くなった顔には、わずかに残っていた少年の面影は無くなっていた。目は笑っていたが、頬に暗い影がある。
でもエドは生きている。
「お帰りなさい」
私は静かに言った。
「ただいま」
エドは静かに答えた。そしてリラの樹を見上げた。
「ここにも・・・リラはあったんだ」
そのつらそうな顔を私は見つめていた。裏庭から帰って来たエドに、母が気づいて大騒ぎをするまで。
やがて母の声で皆が庭に出てきた。うなづく旦那様、抱きしめる奥様、声を上げて泣く母、そして村の方に駆け出していく庭番の爺やは、エドの好きな村の肉屋のソーセージを買いにいくに違いない。
にぎやかにお屋敷に入っていく一団を私は見送った。まだ洗濯物を干さなければならないから。そして、抑えていた涙を流すために。
神様、ありがとうございます。本当にエドは生きていました。私はこの想いを愛していることも好きなことも決して言葉にだしません。それがあなたとの取引ですもの。
涙はなかなか止まらず、私はお屋敷に入れなかった。
それからエドは1週間、滞在した。
「もうすぐ、戦争が終わる。そうしたら、なかなか帰って来られなくなるから」
戦後処理のため、海外に行くことになるらしい。
エドがいる間、私たちの関係は変わらなかった。私が診療所から帰ると、エドは本を読んでいたり、散歩にいっていたり、奥様とおしゃべりしていたりしていた。
夕食が終わると、私とエドは裏庭で話しをする。それも戦争前と同じだ。
ただ、エドの話の中身は違っていた。
最初エドは私をじっと見た。つらそうだけど愛しそうなその表情は、私の動悸を高めた。でもエドはやがて視線をはずすとつぶやいた。
「ローズを見ていると思い出すよ。普段はよみがえらないように閉じ込めているのだけど。ローズ、君はポーラに似ている・・・」
「ポーラさん・・・、どんな方」
私は聞いたが、直感でわかった。きっと、きっとエドが愛している人なのだと。
「ポーラはね。君と同じ髪の色なんだ。そんな髪型をして、目の色も一緒だ。おでこは・・ローズのほうが広いな。君のおでこにかなう女の子はいないものね。目は君みたいに大きくて・・・、いや、もう少し小さいか。鼻はローズより低くて、でも口は大きいんだ」
「髪と目の色以外、似てないみたいだけど・・・」
エドは遠い目をして私を見た。
「ポーラは看護婦なんだ。ロンドンの病院であった時の君に似ていたんだよ」
「看護婦の格好は誰でも似て見えるらしいわ。それでポーラさんは今、どうしていらっしゃるの」
エドの返事はなかった。凍ったような無表情な顔で、夕日に染まった雲をみている・・・。なのに、その瞳は暗かった。何も映さない闇の暗さだった。
私の胸が詰まった。エド、話さなくても・・・と言いかけた時、彼の唇が微かに動いた。
「・・・死んだよ。僕をかばって・・・」
それから、私たちは話さなかった。だんだんと暮れていく庭を二人で見ていた。暗くなっていくのにリラの花はいつまでも浮かび上がって、その美しさを見せていた。薔薇の花が闇に沈んでも。続く