エドが空軍に入ったのは、開戦直前だった。
私は旦那様が、女性も手に職を持つべきだと近くの看護学校に進ませてくれた。それからは年に一度、クリスマスにお屋敷で会うだけになったが、やはりエドは私を相手におしゃべりをする。マギーはいつも誰かに恋をしていて、エドの話など上の空だったのだから。
ロンドンの病院に勤めたのは昨年の9月。その時、エドはマギーと来てくれて就職祝いをレストランでしてくれた。そしてこの2月に訪ねてくれたのだ。
時間がないからと私の近況を簡単に聞いて、新しい任務につくからと去ろうとするエドに私は言った。
「エド、危ないことはないのよね」
エドは真面目な顔になり、そして苦笑して答えてくれた。
「大丈夫だよって言いたいけれど、もう、おさげがないから・・・言いづらいな。ローズ、でも、これだけは約束するよ」
幼い頃のように、エドは私の目を覗きこみ、静かに、だが力強く告げた。
「必ず帰ってくる」
後からマギーにエドは、相当危険な任務についたらしいと聞いたが、現実のものとは思えなかった。
でも今、マギーの泣いている姿は私にエドの死は現実にありえることだと、わからせた。
マギーはやがて、去っていった。「きっとボブは乗り切るはずだわ」と自分に言い聞かせながら。
1ヵ月後、マギーからの電話で私たちは街のカフェで待ち合わせした。マギーの声が重かったので、ボブのことを心配しながらテーブルについた。
「ボブは軽症だったの。他の人と間違われて伝えられたのよ」
「よかったわね」
「ええ、でもエドが・・・、行方不明なの。特殊な任務でパリに潜入してもう1ヶ月経つらしいわ。ちょうどボブが怪我したときね」
私は口をきけなかった。いや、他のすべての体の機能が停止したようだった。
「私のせいかもしれない。私、私・・・、ボブが助かるなら私の大切なもの何でも差し出しますってお祈りしていたから」
マギーは、つらそうに泣き始めた。それを見ながら、私は・・・マギーをひっぱたきたかった。
マギーはこどもの頃から、変わったお祈りをする。神さまと取引するのだ。
「これを叶えてくれたら、これを我慢しますとか、これを差しだしますとか」
大人になって、そんな馬鹿げた神学は卒業したと思っていたが、恋人の危機に、なりふり構わず祈ったのだろう。
そんな切羽詰っていたマギーに本気で怒っている自分もどうかしている。でも今は世界中を怒りたい。だってエドが、エドが・・・。
突然、「やったぞ!連合軍がフランスに上陸した」「ノルマンジーに」と大きな声がした。
人々は通りに繰り出した。車はクラクションをならし、「ワンダフル!ワンダフル!」の声が地響きのようにこだまする。
ロンドン中が喜びに沸き立っていた。でも、私とマギーは取り残されていた。
マギーと別れて、ごった返す人ごみを避けながら家路についた私にどこからか花の香りがしてきたのに気づいた。
辺りを見回すと大きなリラの樹が満開の白い花を咲かせている。
その花を見ながら私は祈っていた。
「神様、エドを助けてください。私の心を差し上げますから。私はエドを愛していることを封印します。好きだとも愛しているともエドには言いません」
マギーが神と取引してボブを助けたなら、きっと私にも効き目があるはずだ。差し出すものが私の愛なら誰にも迷惑はかからない。どうせ身分違いの恋なのだから、成就することもない愛なのだから。
リラの花は、ただ美しく咲き誇っていた。続く