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身体と心に軸を作り

120%私で生きていく♡


愛美emiです⋆*

はじめましての方は

☞こちらから☜


これからの人生を本気で生きたくて
過去と向き合いました

私だから生きられる人生を
生きたいから

あなただから生きられる
人生を見つけて欲しいから

私の過去を公開します

書きながら泣いたりもしたけれど

あなたの未来への希望と
勇気を持つきっかけと
なりますようにと願いを込めて


今日から数日間どうぞ
お付き合い下さい

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私は、自然豊かな

小さな市に生まれた



幼稚園から中学まで一緒とか

当たり前で今思えば小さな小さな世界だった



私は、

父方の祖父祖母からしたら

数十年ぶりの待望の

女の子だったし、

母方の祖父祖母からすれば

はじめての孫だったから、

それはそれは溺愛されて

育ったんだよね。(今思えば)



特に父方のおばあちゃんは、

一緒に居る時間も長く、

学校帰りにはおばあちゃんの家に帰り

(おじいちゃんは私が幼い頃に

亡くなったからおばあちゃんは、

1人暮らしだった)


父と母がお仕事が終わったら

おばあちゃんの家で

一緒にお夕飯を食べて

家に帰るのが当たり前の毎日で



和菓子屋さんの

お嬢様だったおばあちゃんは、

お料理もお菓子作りもすごく上手で、

よく教えて貰いながら

お料理したりおやつを作った。



おばあちゃんはよく


「えみちゃんめんこいなぁ(かわいいな)

ばあちゃんのことすきか?」


「ばあちゃんえみちゃん大好き♡」


「えみちゃん♡こっち向いてみろ!

めんこいなぁ♡」


とか、今思えば笑っちゃうくらい

可愛がってくれていた



冷たい水では

手を洗わせてくれないし

虫がいて「ひっ(・∀・;)」って

なってたらおばあちゃんは

素手でやっつけてくれて

それを見てまた「ひっ(・∀・;)」って

なったりしてた。笑



一方、父も母も

私を溺愛していた。



まさに

“過保護”という言葉が

しっくり来るような

育てられ方をしていた。 



例えば友だちとの喧嘩の仲介に

入っちゃったり門限がやたら早かったり



きっと私がやる筈のことも

なんでもやってくれて

私は、なんにも考えなくても

ことが進むような日常だった。



だからぼーっとしてたし

よく穏やかだとかいい子って

言われていた。



でもそんな親の優しさが

嫌になる時期が来た。



反抗期だ



 いまでは家族仲はすごく良いけれど

あの時は荒れ狂ってた。



穏やかだと言われていた私は

イライラして家族に当たり散らし

教科書を部屋の角めがけて投げたり

暴言を吐いたりもしていたと思う。



母から

「こわいから辞めて」

と、言われたことも

覚えている。


でも、本気で怖かったのだろう


親戚に、

「えみは反抗期無かったよ!」

と言っていた。



記憶から抹消。笑



父は「いや、あったでしょ!笑」

と、意外と冷静によく私を見ていたようだった。




そんな反抗期を迎えた私に

衝撃的な事件が訪れるとは

この頃はまだ知るよしもなかった。



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藤田愛美(愛美emi)