気づいたらもう4月! 前回ブログ記事を書いてから1か月も経っています。
アメリカに住んでいた頃と比べて、ブログ記事にできるような英語に関する学びや体験がすっかり減ってしまって…。
日本に住むとこんなにも英語が生活から消えてしまうものなのか、と改めて感じます。
アメリカでは英語を使う機会がたくさんあり、その環境で学んだことが私の英語力向上につながっていました。日常生活や会話の中で新しい語句に出会い、それが自然なきっかけとなって自ら行動し、その語句の意味を調べたり使い方を練習したりすることができました。
しかし、日本では新しい語句に出会う、そのためにもまた、自分から動かなければなりません。
自分から働きかけないと、日本では英語を生活の中に取り入れることが難しいのです。 待っているだけでは何も起こりません。自分から積極的に行動して英語に触れて学び、練習する努力が必要です。
でも…どんな努力をする?
そうなのです。 私が立ち止まってしまっているのは、どんな努力が必要なのか分からないからです。
アメリカでの私は、「心地よいやりとりができる英語力」を身につけたくて学んだり練習したりしていました。
数時間後に会うママ友と、
明日会う学校の先生と、
来週予約している病院の先生と、
あるいは、買い物に行ったスーパーのレジの人と、
緊張したり恐れたりせず、ゆったりと心穏やかに会話ができることを期待して、英語と向き合い努力をしていました。
目指したい理想の姿が具体的でより明確だったのです。
ところが日本では、英語で会話をする必要がないので、そのような英語力を身につけようと必死にならなくてよいのです。
英語を扱う自分の理想の姿はあっても、それが実生活に結びつくことはないのです。
いつか英語で会話をする日のために頑張ればいいではないか、と言われそうですが、 いつやってくるのかわからない「その日」のために頑張ろうと自分に火を灯し続けるのは容易ではありません。
実際にアメリカという英語を話す国での生活を経験したからこそ、このように感じてしまうのかもしれません。
そもそも、今の私に英語は必要なのか?
そんな根本的なところにまで戻って考えてしまいます。
避けようと思えば、英語に背を向けて別の道を選ぶことも簡単にできる環境で、 あえて英語に向き合う意味はあるのか。
日本に帰ってきて、
日本の生活の便利さや日本語の安心感に包まれて、
すっかり夢心地になっていましたが、
「私と英語」について、 深い部分でジワジワと何かが変化しているのを感じます。
それが良い変化なのか、悪い変化なのか…
長い間英語と向き合ってきましたが、 今までに経験したことのない心境でいます。
今回は自分の思うままに色々と書きましたが、
これが今の私の正直な姿です。