私は今、夫の仕事の関係でアメリカに住んでいます
アメリカに来る前まで、心のどこかにいつも、「私の英語はホンモノではない」「私の英語はニセモノだ」という思いがありました。
それは、留学や海外生活を経験したことがない、海外経験の少なさからくるものでした。
それまでの私の海外経験といえば、
3週間のホームステイ体験と、1週間前後の旅行で何カ国か訪れたことがある、という程度。
17歳で英語の楽しさに目覚めた時、同じ学年に交換留学でアメリカに行っていた子がいました。
私は、その子は自分とは全く違う次元にいると感じていました。
実際の英語力の差がどうとかではなく、その子が「アメリカで1年間生活した」ということで判断していたのです。
大学時代、私の周りには帰国子女や留学経験者が何人もいました。
ここでも私は、そういう人たちは自分とは違う世界の人だと、「ホンモノの英語を使う」人だと考えていました。
だから、そのような人たちと比べて、日本で身につけた私の英語は「ニセモノ」であるように感じていたのです。
(そういえば、同じように日本で英語を身につけた他者の英語をニセモノと考えたことはなかったです。自分のことだけそう感じていたのはなぜなのでしょうか。)
もちろん、海外経験の豊富な人たちから何かを言われて傷ついたとか嫌な思いをしたというわけではありません。
ただ、私が勝手に劣等感を抱いていただけです。
不思議なことに、その反面、
私は日本でここまでの英語力を身につけることができた。
海外に行かなくても英語力を高めることはできるのだ。
という気持ちもありました。
(実は微妙な英語力だったことがアメリカに来てわかるのですが、この頃は本気で自分の英語は結構いい感じだと思いこんでいました。)
この思いがあったので、「海外に行かなくてもできるんだ!あきらめないで!」と生徒たちに伝えたいと、英語教師の道に進んだのです。
「先生の英語すごいね」
「先生の英語かっこいいね」
など、英語にあまり触れたことのなかった純粋な生徒たちの言葉にすっかりいい気分になっていましたが、それでも、「海外経験の少ない私の英語はニセモノだ。」という思いが常に心のどこかにありました。
2つの矛盾した感情が、常に私と英語の関わりの中にあったのです。
アメリカに来て、日本で学び身につけた自分の英語が、アメリカではほぼ使えないレベルだったとわかるのですが…
それはつまり、私が日本で身につけた英語はやはり「ニセモノ」だったということでしょうか?
そうではないと思います。
アメリカ生活の中で使っている自分の英語が「ホンモノか?」と聞かれたら、それも違う気がします。
もちろん、今は、英語が周りに溢れる生活を送ることができます。
現地の人の自然なやりとりに触れることができます。
その中から、何を学び、何を自分の中に落とし込んでいくのか、何を身につけていくのか…
それを選んで、それを実行していくのは「私」なのです。
それは、どこにいても同じです。
日本にいても、海外にいても、結局は「私」が何をしてどんな力を伸ばしていくのか…
そこには「ホンモノ」も「ニセモノ」もなく、ただ自分が身につけた「英語」が存在するだけなのです。
環境よりも、「私」が大事。
「私」が「私の英語」をつくっていく。
このことに気づくまでに、本当に長い年月がかかりました。
私がアメリカに来て自分の英語力にショックを受けたのは、自分の英語力を今まで客観的に、正しく見つめてこなかったことが原因だと思います。
ニセモノであるという劣等感に負けるものかと、周りからの褒め言葉にしがみついて、「私の英語は高いレベルだ」と自信過剰になっていたのだと思います。または、そう自分に信じ込ませていたのかもしれません。
自分が思っていたレベルと実際のレベルの差に心を折られましたが、その差に気づくことができたおかげで、英語との関わり方を見直して学習を新たに進めることができています。
ホンモノとかニセモノとか考えずに、自信を持って使える英語を身につけたいと改めて思います