心のことを日々考えることが仕事になってきた今日この頃だが、心のことの中に『コミュニケーション』がある。
コミュニケーション・・・対人関係。
この「対人」の中には自分自身も含まれる。
自分とのコミュニケーション。他者とのコミュニケーション。
コミュニケーションのことを日々考え続けてきてシンプルな答えを発見!
当たり前のことだが、「相手の嫌がることをしない」 これしかない。
相手の嫌がることをしないというのは、もっと突っ込んで言えば、相手がどういったことで自己重要度が下がるのかを把握し、決して下げないことを目標にするということだ。
相手をよく観察していなければそれはできない。
自分の見る目に自信もないと難しい。
起こっている真実を見るために、自分から自分を切り離して客観視できていなければならない。
相手の地図を読んで把握し、重要度を下げないやり取りを維持できなければコミュニケーション上手とは言えない。
一瞬たりとも気を抜いたりできない、身につくまではね。
相手を知りたいという気持ちをしっかり表に出さなければならない。
その気持ちがあまりなくても良好な関係を築かなければならない相手なのなら、気持ちを作っていかなければならない。
相手を知りたいと思う気持ちを育てようとする気持ちが、相手に興味を作っていく。
コミュニケーション。
コミュニケーションって、人間力だ。
軸がなければ到底耐え難い。人が好きでなければ必要でありながら苦痛は消えることはないだろう。
しかし不思議だよな。
人生でびっちり2年間もいじめられていた経験を持つ私が人を好きだなんて。
この世界を愛せるなんて。
コミュニケーションを仕事にしたいなんて。
世界中が敵だった間も、どこかでこの世界を愛していたんだ。
この世界が、人間が、自分がちゃんと愛おしかったんだ。
愛し続けていたことに気づかなかっただけ。憎しみと悲しみと切なさだけを感じていると思い込んでいた。
本当は違ってた。
世界中の人間から疎まれていた私だった。
誰にも愛されていないと思ってた。
誰にも理解されていないと思ってた。
好きな人のはずが嫌いだった。
自分が全部悪いと思ってた。なんて傲慢だったんだろう。世界を牛耳っているつもりでいたのか。
起こっている自分の外のことも中のこともすべては自己責任だ。
しかし、自分が全部悪いというのとは次元が違う。
これを言葉で伝えきることなどできうるのだろうか?
自分がわからなかった。
他人もわからなかった。
世界も愛もわからなかった。
見えるようになって気づいた。
全部最初からそこにあったんだ。
自分も他人も世界も愛も。
ただ見ようとしなかっただけ。
だって怖かったから。
怖いと思っていたことにさえ、気づいていなかった。
無知。
無知の罪。
今は・・・
無知だった私を可愛く思う。
無知だった頃の私も、どこかでちゃんと世界を愛してた。
あんなに辛かったのに世界に「生」にしがみつきたいと思っていたなんて。
「生きたい」
すべての原動力だ。
コミュニケーションもそこから考えなければな。
生きたい気持ちを応援すろこと。
それこそが、コミュニケーションの極意だな。