人と人との間における自分の役割 | emixbubuのブログ

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先日子供たち3人並べて、叱り飛ばす事態が起きた。

ま、そんなことはしょっちゅうなのだが、この時は「家族の中での自分の役割」について考えてもらえるよう促すようなお小言となった。


子供と言えど家族の一員。

家族にどんな貢献を自発的に行動としていているのかが気になるところだった。

私に命令されたお手伝いではなくて、自分から家族の一員としてどんなことを提供しようと普段から心がけているのかが聞きたかった。


パパは家族のために働いている。

休みの日にはこれこれこういうことを家族のためにしようと意識してくれている。


ママは家事全般。

子育て。特に心を育てることに努めている。

家族間のコミュニケーションを保つ係りを買って出ている。


長女は? 次女は? 長男は?


果たして考えたことはあるのか? 


家族の一員として自分が提供できることは、もっと大きなところでも考えることができる。

学校のクラスの一員としては?

友達の中で自分の役割は?

日本人としてはどうか?

国際社会の中では?

生きとし生けるものの中での自分の存在ってどうだろうか? 何の役に立っているのか?


みんな自分に対して社会が、友達が、先生が、ママが何をしてくれるのかしかなかなか考えない。

本当に考えるべきことは、周りが自分にどんな貢献をしてくれるかではなく、自分がどんな働きを持って感謝を行動に移すことができるかではないだろうか?


自分の動きが役に立てばそれで終わりだ。

その後の見返りは期待してはいけない。見返りを期待したところで、最初の尊い思いはくすんでしまう。

そうはいっても人は見返りを要求する性質を元々持ち合わせている。


だから見返りを要求する気持ちが上がってきても、上から訂正をかければそれでいいと思うのだ。

とりあえずそれでいい。


要は自分の所属しているコミュニティにおける自分の貢献の行動を起こせたかどうかだ。

思ってるだけではダメだ。受動態だからだ。

能動態になって初めて経験としてカウントされるからだ。

誰に? 自分にだ。



子供たちの行動は、すぐには形になって表れなくとも、考えるきっかけはできる。

せめて私の命令のお手伝いがやってきたときでも、心で拒否しないってことくらいはできてきてるように思う。

その認めがそのうち自発的な行動に結びついてくると思う。長い目は持っておこう。


子供たちだけじゃない。

私は今、日本という国の一員として何ができるのか。

この時代を生きる人の仲間の中でどんな提案が私にはできるのか?

家族という仲間に私が力になれることは何?

友達の輪に貢献できる役割って?

仕事仲間に私が協力できることは?

命を持つ一人として、私は何を提供できるのか?


いつも属するグループにおいての自分のできることを考えていたい。

なんとなくではなく、ちゃんとわかっていて自分の仕事を自分で決めたい。

仕事は与えられるものではない。自分で見つけてくるものだ。


私には何ができるのか?

それがいつか自分を作るもとになるのかもね。


自分作り。。。