ママという職業 | emixbubuのブログ

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私がママになって、もう15年経つ。

ママにはなってみたかった。男に生まれてきたかった私ではあるが、女の特権は経験してみたかった。

それに母が私を育てているのを見ていてイメージトレーニングをずっとしてきた。

私ならこう言うのにな・・とか、私がママになったらこれをやってみたいとか。

ママを侮ってもいた。簡単なふうに見えていたのだ。だって誰だってやってるし、仕事との掛け持ちだってできる。大変そうには全然見えなかった。当たり前に母の愛を想っていたのだろうな。


いざ自分がなってみると、見えなかった世界が見えたような気がした。

知らなかった世界よ、こんにちわ。


大学を出て就職先でパートのおばちゃんたちを使う仕事をしていた。

私にしてみれば総合職で若いとはいえ、その権限を与えられ義務にのっとって命令しているのだが、おばちゃんにしてみれば大学出たての若い小娘に命令されるのはおもしろくなかったろう。なかなかのことをいろいろと言ってくれた。おばちゃんと大喧嘩したこともある。若い高卒の社員が年は私の方が上だが先輩で、指導を受けていたのだが、明らかにそれが気に入らないおばちゃん。つじつまが合わない嫌味を言われたりした。若いというだけで目の敵にされた。もちろんそんな人ばかりではなく、ずっと応援してくれていた人もたくさんいたがね。どちらかというと応援してくれてたおばちゃんの方が多いので今でも感謝している。


そんな中、言われた忘れられない言葉があるのだ。

「子供を産んでないあんたには絶対わからない」

・・・卑怯だと思った。負け惜しみだ。

血気のいい若い私はもちろん言い返したし、うまくやっていく努力をその後もして実際妊娠して辞めるまで居心地のいい職場だったが、この時の言葉はずっと残っている。


なんだろう? 子供を産まないとわからないことってあるんだろうな、そりゃ。

自分が子供でママを見て育つのと、実際自分がママになってみるのとでは違うのだろうな。

漠然とそう思ってたし、あぁいうセリフは他人に言ってはいけないと心にメモした出来事だった。


妊娠中はただただ出産が怖かった。人生で一番痛い経験になるのだ。当たり前だ。

怪我をして痛いのとは違う。怪我は予知できない。妊娠はいつ痛くなるかだいたいわかってる。しかも死の危険まで付いている。出産で死んだら子供に会えないというより、自分の命がなくなるのが怖かった。

傷みに耐えきれなかったらどうなるんだろう? 会陰切開って膣の入り口をはさみで切るって雑誌に書いてある。信じられない。あんな敏感でデリケートなところを麻酔なしで切るってどうなのか・・・

陣痛が来ていることに気づかなかったら? おしるしって軽い出血ってあるけど痛みは伴うのか?

出産前に浣腸ってそんなどんな状態でそんなことされるのか? 妊娠線って要するにおなかの皮が破裂することでしょ! 痛そう。


不安は尽きなかった。友達で出産を経験している子はまだいなかったし、親戚でも一番だった。とてもとても心細かったのを覚えている。

ダンナは優しいし親身になって話を聞いてはくれていたが、所詮男だ。わかるわけもない。


実際出産を経験して、自分の体がかなり知識を先天的に持っていたことを知った。女は偉大だ。

痛みの限界も感じたし、死の壁も見えた気がした。そして私の若くて強靭な体では死の壁を超えないということも感覚で知った。出産に耐えうるいい母体だったわけだ。


そうやってママになった。


ママの仕事というのは、100から始まってだんだん1に近づいてくるものかもね。最初のひと月が一番たいへんだった。なぁんにもできない赤ちゃんのすべてのお世話をするのだ。全部がママの仕事だ。赤ちゃんはまだママの一部のつもりだ。人間の妊娠はほかの動物の半分の期間しかないらしい。本当なら生まれてすぐに立って歩けなくては自然界では生き残っていけない。人間の赤ちゃんが半分で出てくるのは、立って歩く人間に与えられた使命なのと、脳の発達によって頭が大きくなった赤ちゃんが産道を通れなくなるからだそうだ。

動物の半分の期間しかおなかにいず生まれてくるのだから、本当になぁんにもできない。私がいないと死ぬ。


人間一人の命を預かった者として、その責任の大きさを知って泣いた。

同じだけの安堵の気持ちは赤ちゃんからもらったものだ。私は生きている価値のある身だ。その実感をもらった。この子は私なしでは生きられない。私の生のパスポートを確かな実感に変えてくれたのは赤ちゃんだった。

そしてこの気持ちは赤ちゃんの成長とともに上手に少しずつ捨てていかなければいけない感情なのだ。子供は成長とともに自分でできることが一つずつ増えていく。ママもそれに合わせて一つずつ捨てていくべきなのだ。これがわからず、ずっと子供に安堵をもらったまま育てていくママもいる。これではダメだ。本人は子供に愛を与え続けているつもりでも、実は子供から強制的に愛を搾取している親も多い。子供の人生に介入してはダメなのだ。子供には自由の素晴らしさを与えてやらなければならない。それにはママが重くてはだめだ。


先日うちの一番下の子が、ママのプチ財布から500円取ろうとした。次女に見つかって戻したらしい。次女はママやパパには言わないであげると約束したようだが、後日喧嘩して腹が立ったのかつい私に言ってしまった。

私はその時昼寝していた。気持ちよく。眠け眼でどう対処しようか考えた。ちなみに言いつけた次女は忘れてはいるが自分も過去同じ罪を犯したことがあるのだ(笑)


私は冷静に長男を追い詰めていくことにした。逃がしてはいけない。罪の重さは感じさせてやらなければならない。そしてここでやってはいけないことは2つ。頭から怒鳴り叱ることと、感情的になってママが裏切られ傷ついた様子を見せないこと。一つ目は怒鳴ると子供はママに秘密を持つようになる。次からはどうやって隠すかに力を注ぐようになる。二つ目はママを傷つけてしまったことを必要以上に自分を責めるようになるからだ。この両方でママは重いと感じるだろう。ただママは子供にとって神のような存在なので、自分が悪いのだという結論しか導き出せない。そうやって世の中のルールを体に叩き込んでいくわけで、ママの仕事は非常に重要であると言えよう。


さて私は長男をじりじりと追い詰めた。まずは自分はやっていないという長男に自分の口からやったことを認めさせる作業をした。論理的に攻めていくともう逃げようがない。

次にママの財布に手を出したことがどういうことなのかを説明した。信用を込めてみんなの手の届くところに小銭入れを置いていることも含めて説明。事態がだんだんと呑み込めて来て、長男は真っ青に。


次にどうしてそんなことをしようと思ったのか根気よく聞いた。わからないという長男に、ではわかるまで考えてといった。答えが出たので、反省すべきことかどうか聞いた。ほしいものがあってお小遣いの域では買えないというなら、どうやって手に入れたらいいかの方法も教えた。お手伝いお駄賃等である。

それからその事実をもってどうしたらいいか自分で考えさえた。「どう責任とってくれるのか?」つまりはどう落とし前つけてくれるのかということである。まだ私は冷静で低いトーンで長男を追い詰める。そしたらしばらく考えて意を決して彼は顔を上げた。もう青い顔色ではなく決心を感じられた。「クリスマスまでお小遣いはもらわない!」

私は「よし!」と言って、話はここで終わり。それ以上でもそれ以下でもなく、必要なだけできたと思ってる。

思えば長女を育てているときはなかなか冷静ではいられなかった。3人目ともなるとずいぶん上手になったな~っと自分で自分を褒めた出来事だった。


・・・ちなみに小銭入れを手の届くところに置いているのも、私の策略である。ひひひ。

こういった経験を通して子供たちは学ぶと思っているので、自分の中に潜む悪いとされる感情やややこしい気持ちもたくさん感じてほしいのだ。危険を取り去らうことがママの仕事ではない。危険攻略法の知恵を授けることが仕事だと思っている。危険認知力、回避法、攻略法と知っていれば人生のサバイバルで役に立つというものだからな。


人生の山は険しくおもしろい。子供たちにはどれほどの自由を自分が持っているのかを知ってほしい。

それにはママが重いようではいけない。

時代によって国が重い時代もある。男女差別が重い時代だってある。経済が良くなくて食べるものや身の回りの物を整えることができない時代もある。今がどんな困難を抱えている時代なのかを見極めて心得ておく必要もあると思う。情報化社会のこの現代において、ママは簡単に重みを増す。子供たちの自由はまっとうな精神の成長の上に成り立つものだが、それが過去のどの時代より難しい時代に入っているのかもしれない。


子供を育てることは簡単なことではない。力の抜き方も学ばなければならない難しい仕事だ。自分の愛をいちいち見直す暇なんてないし、なにも知らないのにいきなり100から始まってしまうんだ。考えてる暇なんて普段はない。迷える新米ママたちに経験豊富なママたちが道を示してやれればいいのだが、現代はその状況にほど遠い。

「子供を産んでないとわからない」というのは正しい。なら、教えてもらいたいし、そういう新しいシステムが現代には必要ではないだろうか。


そんなあんなを最近暇になってきた子育て15年目ママの私は思ったりするのです。