「サヨナライツカ」 | emixbubuのブログ

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『サヨナライツカ』


いつも人はサヨナラを用意して 生きなければならない

孤独はもっとも裏切らない友人の一人だと思うほうがよい

愛に怯える前に 傘を買っておく必要がある

どんなに愛されていても 幸福を信じてはならない

どんなに愛していても 決して愛しすぎてはならない

愛なんか 季節のようなもの ただ巡って 人生を彩り 飽きさせないだけのもの

愛なんて口にした瞬間に 消えてしまう氷のかけら

 

サヨナライツカ

永遠の幸福なんてないように

永遠の不幸もない

いつかさよならがやってきて 

いつかこんにちはがやってくる

人間は死ぬ時 愛されたことを思い出す人と 愛したことを思い出す人とに わかれる

私はきっと愛したことを思い出す




・・・・・ちょっと見てみたかった「サヨナライツカ」って映画を観た。

私の総評としては、まあまあだが、この上記の詩と脚本と主役の男性のセクシー度はよかった(笑)

ちなみに前からこの俳優は好きだったが、演技のうまさというよりも、抜けるようなセクシーさを持っているところに惹かれる。

いわゆる「王子様」系の大人の男だな~ かっこいいんではなくて、色っぽい。女性が唾を飲むタイプの男と思う。


演出とか演技とかは全体的に今ひとつかな~ けれどこの詩はとてもいい。


ホントに思うのだ。私だって思うんだ。

孤独を友として生きるほうが賢いと。

空しさを消すことなんてできるはずもない。

生きていることと、死んでいくことなんて同じようなもの。

違っているものはなんだろう・・・・考え込んでしまう。


私の感覚なんてなんの意味もない。

私の感情なんてなんの価値もない。

ただあるのは生きている切符を持っているってことだけ。

その人生っていう切符を持っている間だけ、自由と責任を託されていると、私は思っている。


はかり知れない自由と、はかり知れない責任が、私たちにはあるのだ。

流れに逆らってはダメなんだ。流れに逆らったりするから、痛むんだ。

責任を一時軽く手放すから、後に歪が生まれ・・・苦しむんだ。

すべては自業自得。

自由な分、同じ量だけ責任を持っているんだ。


今・・・次女が苦しんでいる。

わかる。理由も彼女の苦しさもわかる。

そして母であっても、私には救えないこともわかってる。

手助けはできるから精一杯の手助けはしているが、まだ幼い彼女だって、その自由と責任は自分の手の中にあるのだ。

体と心と脳は三位一体だと思うんだ。

だから心が痛むと、脳も体も同じだけ痛む。稼動域が狭まった分、思うようには動けないのだ。

自分のどこが痛んでいるのかを、まずは見極める必要がある。

心なら心のどの部分かを知り、体なら体へのアプローチのどこがいけなかったのかを知るべきだ。

睡眠不足なのか、なんの栄養素が足りていないのかとか、そういう類のことだ。

心も同じことだ。そして脳は、体であり心なのだ。その両方をあわせもつ。


そしてね・・・・最近は思うんだ。

その先はないのかもしれないって。

知ったら・・もうそれでいいのかもしれない。

「どうすればいい?」「どうすべきか?」「どう動くべき?」「どう動かないべき?」「どうすればいいかわからない」

自問自答を繰り返す日々に回答など出てくることなんてなくて。

ないんだ。きっと。回答なんて最初から。

ただ・・・知ればいいだけだったんだ。


そうすれば「何か」が変わるんだ。

だって、知ったという事実があるから。

変わったら、変わってしまったら、もう以前の自分ではなくなる。なくなっているんだ。

だから結果も変わってくるはずだ。自然に。

それなら流れに逆らってはいず、責任は手の中のままだ。

自然に逆らっては苦しみが待っているだけだ。世界を敵に回してはいけないのだ。

孤独と空しさは消すことはできないが、苦しみを快楽とすりかえることはできるんだ。

だってそれらは同じ穴のものだからだ。


愛も恋も、同じ体に降り立つもの。

同じ器に入るもの。

だからきっちり分けてしまうなんて、ムリだ。ムリなんだ。

すべては仕方ないんだ。空しさと孤独を友にして生きていこう。

当たり前にあるものだと思えば、そのうちに慣れるかもしれない。

あまりに長い間それらが側にあれば、慣れて麻痺するか、情が湧いて愛おしい気持ちにだってなるかもしれない。


次女の背負うものは、とても大きい。

そして誰もが通る当たり前の大きさでもある。

私はただ側に居て、見てやっていればいい。

彼女の軌跡を母の中に刻んでやっていればいい。

私が教えるのではなく、彼女が学ぶんだ。

私は彼女の見本の一つであればいい。

私のすごさも、私の至らなさも、すべては彼女の肥やしになる。

それでいい。それだけで十分で、みんなそうやって代代引き継いできたんだ。

それが自然というものだ。

命とはそうやって受け継がれていくものだ。


男を愛し恋すること。子供も同じことだ。

子供にだって愛しもするし、恋しもする。

「恋」という言葉を使わないだけだ。

人の中には「恋」も「愛」も同居しているんだ。

人は人を愛し、人は人に恋をする。

だって他者を大事なように、自分も大事だからだ。

「愛」だけでは語れないし、「恋」だけではこの世は歪む。


同じように、子供も親を愛しもするし、親に恋もする。

親に恋してるから、子供だって苦しいんだ。


だから、人は孤独で・・・人は空しさと共に生きていかなくてはならないんだ。


その他のものたちと同じように・・「愛」だって永遠ではないんだろうな・・