昨日友達から手紙が届いた。
手紙をもらったのはとても久しぶりのことだ。
今はメールでなんでも済む時代になっているので、手紙はとても新鮮だ。
メールでは感じないことをたくさん感じた。
わけあってお金を送ってもらうことになり、お金と共に手紙が届けられたのだ。
古い友人で、私の大切な友人の一人だ。
長い付き合いの中、彼女にはたくさんのことを教わった。
母として主婦として妻として、まだ新米だった頃の私に指針となってくれた人だ。
出会いもユニークだった。
たくさんの団体の中にいて、大きな木の下に座り込み、なんの動揺も無く赤ちゃんに乳をやっていたのだ。
乳は丸見えで彼女は気にする風でもなく自分の弁当を食べていた。
「肝っ玉母ちゃん」・・・それがはじめて会ったときの印象だった。
「子供には善悪を示してやらなくてはいけないよ」・・・彼女の言葉だ。
何が良くて何が悪いかがあいまいな大人の世界を持っている私たち。子供たちにはちゃんと世界を示してやらなければいけないよ、ということだと思う。
いつも「はっきり」した態度で子供たちと向き合っていた。
彼女の生い立ちは複雑で、今の結婚も複雑だ。
ちょっと揺らいでしまうような関係図を持つ中にあって、彼女はいつも正しい見方をしていた。
子供は3人。全員女の子だ。
うちの子供たちはこの友人の子達とは兄弟のように育った。
みんないつも一緒にいて、たくさんの楽しいことを一緒に味わった。
彼女の家にはいつも友人たちの誰かがいて、遅くまで人の出入りがあった。
夕方になると、お菓子やおかずを一品持って、彼女に会いに行った。
子供たちが溢れていて家のなかはすぐ砂だらけになってた。
彼女の作る料理は、私とは違う温かさを持っていた。
何品か教えてもらった。
違うのだが、味わったことの無いまた別の「母の味」だった。
複雑な生い立ちをしているのに、母として妻としてどうしてあんなに堂々とできていたのだろう?
私はなんの曇りもない関係図を持っているのに、すぐに周りの影響を受けてぐらついたりしていたが、彼女は生き方に自信を持ったいた。
そして教えてもらってたんだ。自信のつけ方を。
10年ほど前に彼女の家族は引っ越していった。
しばらくは名古屋にいたので、夏になるたびに何泊かさせてもらいに行った。
バーベキュー、川でしじみ取り、夜花火。子供たちが寝静まった後は、彼女と彼女の夫と3人で飲んだ。
とても大切な思い出だ。
その後東京に引っ越して行って、今は九州にいる。
もうこちらに帰ってくることはない。実家も会社もこちらにはないからだ。
メールは普段はしない。彼女はメールはあまりしない人なのだ。
何か質問しても、「はい」としか返ってこない。もちろん「いいえ」の時だってあるがね。
そして先日今回の件で電話がかかってきて久しぶりに声を聞いた。
元気そうで、相変わらずややこしい関係図の中にあって、自分に正直だった。物事を正しく見ていた。
届いた手紙の封を切ると、玉葱の匂いがした。
きっとお料理した後に書いたんだ。もしくはお料理の途中で煮込んでいる間に。
笑えた。情景が浮かんできた。訪ねたことない家のキッチンが見えた。
彼女がエプロンをして立ち上がる湯気の中、お玉を振り回してた。
手紙を書いている姿も容易に想像できる。私たちは長い間同じ時間を共有してきたのだ。
字がとてもキレイだった。
メールは一言な彼女だが、手紙は2枚も書いてくれてた。
彼女の字体、筆圧で「会いたい」って書いてくれてた。嬉しかった。
返事を手紙で書こうか・・・メールで済まそうか・・・何も送らないでおくか、迷うことろだ。