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本って不思議だ。

しおりを挟んで閉じ、本を読むのを止めても、まだ本の世界は閉じない。

本を通した世界でしばらくはこの世を見ているのだ。


正確に言うと、本そのものの世界ではない。

だいたいにおいて、本の世界なんて存在しない。

読む人の持つ世界に本の世界が共鳴して新しい「読む」という行為が起きているだけだ。




過去の出来事って、そのすべてが過去なわけではない。

過去の出来事の中のいくつかは、今を生きる上での指標となっている。

だから、今、過去を洗い直し、事柄の意味を見直すことは、今現在の指標を変えることにも繋がる。

他人は私のことを決めつけ、レッテルを貼って見るものだけど、一番自分にレッテルを貼っているのは自分かもしれない。

本当はもっと可能性のある生き物なのかも、自分って。

計り知れない可能性を、実は自身によるレッテルで汚し冒涜し過去に置き去りにしているのかもしれない。


今日、少し過去に還ってきた。

正確に言うと、いつも過去に還っている。

私の脳みそは過去から意識を剥がすことを拒否する。

過去を多角的な視点で何度も見に行く。人生40年も生きてきていると、見る場面も増えてくる。

10才にたちかえり、2年前にも還る。20才の頃の初々しい記憶も大切だ。

覚えている言われた言葉は深く胸に刻まれている。

記憶を蘇らすと何度も傷つく。

しかし覚えていない言葉というのもある。

記憶にない言葉たちを懸命に思い出そうとする。

あの時のあの人の笑顔、そこから計れたであろう気持ち、考え。

忘れてしまったのではない。呼び起こせないだけだ。

後で私自身が過去を塗り替えてしまっただけだ。都合よく。

『本当』はどうだったのかは、もはや問題ではない。

『今』どう感じるのかが、問題なのだ。


ふと立ち寄った実家の庭に牡丹の花が咲いていた。雨に濡れてしっとりと下を向いて首を重たげに垂れていた。

記憶が20年ほど遡った。

晴れた日の牡丹の勢いのいい咲きっぷりに、おばあちゃんが誇らしげだったのを思い出した。出来立てのほやほやした牡丹をさっそく絵に描いていた。私はなんだか嬉しかった。

おばあちゃんが逝ってしまった後のはじめての春にも、牡丹は威勢よく咲いていた。「今年もよく咲いたな~」と牡丹の新しい主人である父がどことなくはかなげに言ったのを覚えている。


今日は30分ほどの時間の穴埋めに立ち寄った。実家には誰もいない時間だった。

一人仏壇の前に行き、手を合わせた。

目を閉じなくても、その部屋は30年遡っていた。部屋を出て廊下を見ると、改修前の懐かしい廊下がそこにはあった。気配がした。今は亡き人たちが動き回る気の動きが、私の中にはあった。時間が長く感じられた。

今日は朝から雨なのに、記憶の中は5月目前らしい抜けるような晴天だった。


私の実家は広い。だだっぴろい。誰もいなかったけど、生活の匂いがしてきて、それは私を落ち着かせた。

けれどこの家という入れ物は、私を媒体にして何年も遡れるし、時間移動が容易いものなのだ。

特に家人が留守の折には、それはすぐに起きた。現に今日も。

ひとりぼっちの時、いつも庭の花を見ていた。なんだか落ち着くのだ。たぶん花が生きていたからだ。

花は生きている。だから私は一人ではなかった。花は私に都合のいいことを言ってくれた。逆に私の妄想では動かすことのできない確かなものもちゃんと示してくれた。花は現実を見せてくれていたのだろうな・・

今日も雨に濡れた花にホッとさせられた。



三つ編みのようなものだな~と。どこまでも続く長い髪を三つ編みにしている。

よってよって過去と今と私をよりあげる。はじめは太い髪の束だが、どんどん細くなる。これで終わりというところにはたどり着けないが、三つ編みを作りながらこの世界を通して私はものを見ている。

他人からもらったものはなんだったんだろう?

くれたものと受け取れたものは違うもの。合わさらない。

失うと思っていたものは最初からなかったのに。

いや、消せないだけなのに。いや、消さないだけ。

意識の底に折りたたもうとしていることは、私にとっては心の臓。誰にも触れられたくはない。

だから折りたたむのか?現世では日の目をみないから。

思い起こせば幾度となく折りたたんできた。あの気持ちもこの気持ちも。

幼子の頃からもう折りたたんでた。気づかれてはいけない。誰にって、自分に。

私が気づけば、世界は反転してしまうから。まるでスパイのように首尾よくやり遂げなくては。



お腹にできものを作っていた。医者が言うには、よくあるからなにもないのと同じだそうだ。

しかしそれはある。私って歴史の中で出来上がってきたできもの。

年を取るってそうやってできものを一つ一つ抱えていくってことなのかもしれないな。

責任を持つのだ、自分って歴史に。

できものはきっとあると思っていたが、あるとわかったらなんだか愛おしくなった。

なぜか子供を宿した宣告を受けたときに少し似ていた。

同じ場所にできたからそう思うのか、同じ先生に言われた宣告だからそう感じたのかはわからないがね。



余談だが、また頭を打った。

どうも地に足が着いていないのかも(笑)

左右のデコチンの痛みには溜息がでるよ。。。。