昨日、あっという間に49日を迎えた。

父は2016年に大腸憩室炎を患ってからオストメイトを設置し、その後肝硬変から2024年に肝臓癌になり2024年8月、前日までは元気でいたけれど癌が原因によ
り急変死した。

肝臓が悪くなり腎臓機能もだめになり、腹水になりがにだった。癌も大きくなるのが早いもので2月では4cmだったのが6月では6cmになっていた。

還暦すぎてもこんなにも早く大きくなるなんて驚いた。若い人は進行が早いって言われるくらいだから気付いたときには手遅れに…ってことも多々考えられるんだなぁとつくづく思う。

父は死ぬ前日まで意識もしっかりしていたけど、便が出ないために投与された薬で体調が急変した気がする。まぁ、憶測だけど…多分、飲んでる薬と合わなくて身体の昨日もわるくなっているため、薬に負けてしまったのかな〜。

投与した翌朝に母が父に体調どう?ってラインしたら、いつもだったら、「変わらん」なのに「悪い」ときた。その日は母がパートだったため終わったら行くよ〜っていっていたところ「来ないでいい」が最期のラインだった。

病院の先生曰く、朝から腹痛が辛いようで処置室に移動し様子みていたけど、夕方に痛みがあったため痛みを和らげる薬を投与したところ、痛みは取れたけど、だんだんと心臓の動きが弱くなってきているから来てくださいとの連絡があった。

そして、この日の東京はすごい雨と雷で電車も止まる位の日だった。家を出るときに雷は鳴ってたけど急いでて傘を忘れてしまい、病院の最寄り駅で大雨だったのでヨドバシカメラで傘を買った。

普通の傘しかなく3000円という予想外な出費に加え大雨と雷。服や靴はビショビショになりながらも大雨と雷とともに父も頑張ってるのではないか?と思いを持ちながら病院についた記憶がある。

心肺停止になったのは薬を投与し電話してから30分しないうちになったらしい。なので、ついた時には、見たこともないようなぐでーとした姿で衝撃だった。けれど、まだ温かいし、生きてはないかもしれないけど、母や妹がくるまで声をかけ続けていたら父の目から涙のようなものが見受けられ、「こっ」て息を吸うような音が聞こえた。

体内にあったものが、出てきたのかもしれないけど、父が反応してくれたのではないかと理解することにだったな。

そんなこんなで父が死亡し、そっから看護師さんに身体を綺麗にしてもらい、葬儀屋に連絡しきてもらい霊安室⇒葬儀屋の安置室に移動とバタバタしてたなぁとしみじみ懐古。

そして、今更ながら投薬により急変したとも捉えられるため、医療ミスか?!とも思えたりもするけど、きっと適量で薬剤も問題なく投与されてはいたけど鎮痛剤が何か悪さをしたのかなぁ〜。真相は不明だけど、まぁ、穏やかな顔で亡くなってたから本人はキツくなかったから良かったのかなぁ。

我が家の場合、散骨を希望しており特段宗教も信仰してないため、父の誕生日付近の11月に散骨を予定。散骨までは家にいるのかな?あと少しだけ、母といてください〜と思いつつ残りの手続きせねば!

SNSのアカウントどうしよ〜。生きていた証をもう少し残して置きたいなぁとも思いつつ、残しててもモヤモヤするし散骨までかには削除かな?とも思いつつ…悩ましい〜