私はずーっと前から、以前のブログから読んでてくれてる人ならわかると思う(見ず知らずの他人の私が書いたものなんてちゃんと頭には入ってないかもしれないけど)けど、本当にずっと前から言い続けてきてることは「矛盾はきらい」「言い訳はきらい」「自己正当化はきらい」ってことなんだ。
でね、なぜ私はそういうことが嫌いなんだろうって考えてたの。
私は自分の中でブレさせたくない芯が何かを明確にするために、自分が嫌いなことについても突き詰めて考えてみる癖もある。
哲学的なこと?を考えるのが好きなのかもしれない。
嫌いな理由は、やっぱり「矛盾した言動や行動をしてると他人から信用されなくなるから」なんだろうなって思う。
言動に一貫性がない人の言葉に重みは感じられないもの。
聞くに値しないと私は思ってしまうの。
この間と言ってることとやってることが違う。
自分のことを棚にあげて人を責めてる。
自分も同じことしてたじゃん。
また言い訳してる。
自己を正当化してて痛々しい。
いいこと言ってる風だけど、自分は出来てないんだろうな。
また自分を大きく見せようと虚勢を張ってる。
あれは嘘だな。
等々、矛盾してる人の話を聞いてると上記のような感想を抱いてしまうんだ。
私は悪魔だからね。
一度でもその人が「矛盾してる」「嘘を言ってる」ということに気付いてしまうと、私はその人の言葉を信用しなくなる。
話を聞いて「そうなんだー」って相槌は打っても信用していないのでその言葉は耳には入ってこなくなる。
どうせ、その人は自分が出来ないのに偉そうに理想を語ってるだけだから聞いても時間の無駄なのよねって思ってしまうんだよね。
私は悪魔な上に冷たいからさ。
私は他人の言動から矛盾を見つけてしまうと信用できないと思ってしまうから、他人から信用されなくなるのは嫌なので私自身は「矛盾しないようにしよう」「言動には一貫性を持っていよう」と思ってるし、実行もしてるつもりなんだ。
常にアップデートをするようにしてるので、考え方が変わっていくことももちろんあるけどね。
私も弱いところがあるから矛盾したことを考えちゃうときもあるんだけど、それは自分でも矛盾してるってことにはすぐに気がつく。
なにせ矛盾が本当に嫌いなので無意識に矛盾しちゃうということはないんだよね。
だから、なぜ矛盾した考えが頭に浮かんでしまったのだろうということを突き詰めて考えていくんだ。
私の場合は不安に思ってることがあると矛盾したことを考えてしまうかも。
あまのじゃくな考えっていうのかな。
好きだけど、好きじゃない。
会いたいけど、会いたくない。
とかそんなことを考えてしまう時は大抵何かに不安を感じてる。
だから、その不安に感じたことの根本が何かを考えていくと自分が何に悩んだり迷ったりしてるのかがわかってくる。
その悩みや迷いを払拭したら不安がなくなっていくので、矛盾もなくすことが出来る。
矛盾をなくすと行動に一貫性が出てくる。
こんな感じで自分と向き合ってるな。
常に自分と向き合ってるので深く悩むことは今のところない。
悩んでもすぐに解決する方法を見つけて前に進むことが出来ている。
私は他人にバカにされることも嫌いなんだと思う。
だからバカにされたと感じたらとことん言い返せるくらいの太い芯を体の中に通してはいる。
言動に一貫性があると正論で言い負かすことは可能だからね。
あ、でも的を射てることを言われた時はちゃんと自分の行動を省みるよ。
ただ、矛盾してる人の指摘は的を射てないことがほとんどだけど。
矛盾してる人は自分を棚にあげる傾向があるから、他人をバカにすることも多いように思う。
それは弱さを隠すための自己防衛の一種なのかもしれないけど。
弱いから虚勢を張っているのよね。
だけど、矛盾を突かれると途端にぼろが出始める。
最初は論点をすり替えてきたり、また矛盾したことを言い出して本質からずらそうとするのだけど、引き戻して本質を突いていくと芯がなくてふにゃふにゃだから次第に対抗できなくなっていく。
そういう矛盾を一つ一つ潰していくといつか言い返せなくなる時がくる。
しぶとい人はしぶといけど。
芯が通って自分に矛盾はないと自信を持ててると、そういう人に付け入る隙を与えないで済むからバカにされないようになっていく。
これは元夫から学んだことでもあるんだけどね。
こういう学びを与えてくれた元夫には感謝してる。
私が「矛盾はきらい」「言い訳はきらい」「自己正当化はきらい」なのは、自分がバカにされるのが嫌だからなんだろうな。
だから、他人からバカにされないために芯が通った生き方をしていきたいと思ってるんだ。
これも自己防衛の一種っちゃ一種なんだろうね。
これ可愛い。
送料かかるけど。
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