沖縄 竹富島 2009年11月撮影
「人類の復活」から、さらに抜粋して感想を書きたいと思います。
第5章 ことだまの幸わう国
もともと聖書にも、心経にも、いかなる仏典にも、何一つとして教えはなく、存在の真実
(神の経綸)の叙述と証しと預言に終わっているもので、おのれ(言霊)をそれにてらして、
わが内に痛み(未完成なる人類)を見きわめるマスカガミでありました。
聖書に教えを乞うてはいけないということですね。聖書は人を映す鏡であって、ある人が
ある時に読むと、その人のその時に見合った答えが見つかるということでしょうか?
ヒトとトキがクロスした接点。そこに聖書は答えてくれるのだと思います。
もっとマクロの視点で見れば、人類の中のそれぞれの民族や国民の、それぞれの生きて
いる時代に合わせて、読み解く内容が違ってくるのかもしれません。
いつの時代にも永遠に古びれることなく、その時代に合わせた預言として読み解けるのが
聖書なんですね。
著書:人類の復活
著者:西村忠義
