高千穂峡 2010年4月撮影
人類の復活 第五章「ことだまの幸わう国」から、さらに取り上げてみます。
人間はどうして、こうも人に教えたり、人を気にしたり、人の目の前に誇り高く
生きようとすることをやめず、神の前に傲慢な、聞き入れない器となってしま
ったのでしょうか。人間の言葉に、人を生かしたり、人を変えたりする力が
あると考えている錯覚からどうして覚めようとしないのでしょうか。他に語り
かけている人間の言葉は、すべて、自他ともに侵し殺そうとする公害として
働いているのです。自他ともに生かす言葉があるとすれば、それは言霊で
あり、その場は、二人の間とても、ことだまの幸わう国となっているはずです。
他人を教えよう(自分の考えを押し付けよう)とする言葉や他人を気にして自らの
正当性を主張する言葉は、すべて傲慢な言葉ですね。
言霊すなわち宇宙波動を自分の潜在意識が受けて発する言葉は、たとえそれが
多くの人に向けての言葉でなくても、たった一人に発せられた言葉であっても、
それを受け取る人がいれば生きた言葉となって喜びの波動をもたらすのでは
ないかと思います。
言葉は人格そのもの。その人がどのように生きているかを証するものです。
生きた言葉、宇宙意識と繋がった言葉を使わなければいけませんね。
