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前回までの話神帰月のできごと① 神帰月のできごと② 神帰月のできごと③ 神帰月のできごと④ 神帰月のできごと⑤
色々と個性的な人々登場人物紹介
告別式の時間まで
もう、このまま何事もなく済めば良いな…としか思えなくなっていました。
父の葬儀。
何でこんなに周りに振り回されて、疲れきっているんだろう…
葬儀での席順も、この何日間のできごとで揉めてはいけないと、義両親には親族の中でも上座の席を用意しました。
遥希が「ウチの親を蔑ろにした!」とまた言い出したら…と思ったからです。
父の姉妹が参列していなかったのでできたことですが…喪主の母の後ろに義両親には座ってもらえば、少なくとも「蔑ろにした!」と言われることはないだろう。そう思いました。
「父を...無事に送らせて欲しい」
それが、たった一つの願いでした。
告別式が始まると告げられて、式場に入っても義両親はコソコソと話していました。
そして、住職様・副住職様の読経が始まるまで話し声は後方から聞こえていました。
読経の間。
線香の煙が流れてきて、義両親が咳き込み始めたのがわかりました。
それを抑えるためだったのでしょうか。
今度はガサガサと音を立てて、のど飴を舐め始めたのです。
まぁ…咳が続くのは辛いし…と思いながらも、また義母が何かを話し始めたのが気になって仕方ありませんでした。
せめて、話すのは止めてもらえないかな?と思っていました。
司会者の方に話した父との思い出話についてが話題だと分かるくらいには義母の声が聞こえていたのです。
読経が終わり、住職様が少しお話を…と話していた時も、義母は「話が長い…」と溢していました。
中学生の当麻や小学生の蘭花が我慢しているのに…と思いましたが、いつもの義母からは想定内の言動だと思っていました。
式は続き、棺の父に用意した服を母や私たち姉弟、孫の当麻・蘭花の手で納めました。
そして、花入れの儀。
最後の時間…お別れの時間になったのです。
祭壇の生花を棺に納め、父と最後の別れの時間を過ごしました。
式場の参列者は少人数だったので、何回か花を入れてもらうことになりました。
当麻や蘭花に
「もう一回、花を…」
と促していると、義母の姿が目に留まりました。
…笑っていたんです。
私たちが涙を流して父に話しかけているのを見て、ニヤッと笑ったんです。
世の中には「失笑恐怖症」という恐怖症があることは知っています。
真剣なときにもこみ上げてくる笑いを耐えられない人がいることは知っていますが…
義母の叔母(義祖母の妹)が亡くなった葬儀ではそんなことはなかったのです。
これは、失笑恐怖症の症状だったのでしょうか?
「失笑恐怖症」という恐怖症があることは知っていますが…同じようなシチュエーションであっても症状が出るときと出ないときがあるのでしょうか?
そう思っていた方が良いのかもしれませんが…あの顔を思い出すと今も腹が立って仕方なくなります。
父に最後に当麻や蘭花と一緒に触れて、出棺。
火葬場に向かうバスに乗りこみました。
私は智と一番前に乗り、その後ろに蘭花と遥希、その後ろが義両親…と座っていました。
バスの中でも義両親だけは話し続けていて、
「景色が~」
「こんなお店があったのね」
「あそこ、今度来たら行こうか」
などの会話が聞こえました。
智や穣が拳を握って、我慢していたので
「ごめんね」
と言うと黙って頷いてくれましたが…バスの中の親族はみんな明らかに怒っていました。
次回は3月11日12時に更新予定です。