歴史を知ること | That's where we are

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the Church of Broken Pieces
(アメリカ救急医の独り言と二人言)

今回ベトナムのハノイへ行ったのは

中毒センター設立記念のカンファレンスのため

 

夫(ER、中毒学医)は過去に2回

デンバーで中毒学のフェローだった頃の

メンターだった人から声がかかり

中毒学会のスピーカーとして

ハノイを訪れたことがあり

 

今回、また声をかけて頂いて

講義の内容について話し合っていた所

「研修医とか医学生にどうやって

シミュレーションを使って中毒学の教えるかとか

僕の妻なら話せるけど」

とか、余計なことをケロッと言っちゃって

 

なんか、私自身が了承する前に

スケジュールに私の名前が載ってた...

 

アジアの国の一つだけれど

ベトナム料理のフォーは食べたことあるけれど

常連のネイリストさんはベトナム人だけれど

 

ベトナムって共産圏よね、一応?

 

あちこちに警察官とか軍人とか立っていて

常に見張られているんじゃないか?

道で尋問されるんじゃないか?

 

共産圏には一度も行ったことがなく

外国人は常に監視されていて

行くことが出来る場所も限られているとか

ちょっと怖いイメージがあった

 

実際に行ってみると

確かに軍人の様な服装の人は

あちこちで見かけたけれど

観光客なのでチラチラ見られはしたけれど

監視も尋問もなし

 

"I love America"と大きく書いた

スティッカーを張ったトラックが走っていた

 

「ベトナム人はアメリカが大好きで

中国とフランスが嫌い

だって、ベトナムはアメリカには

戦争に勝ったから」

これは冗談なのか、本音なのか

 

民主主義代表選手である様な

アメリカLOVEを公言しても

逮捕されないのは確かだ

 

 

そんなハノイではあったが

ああ、ここ、共産圏だったんだと

思った瞬間はあって

 

カンファレンスの初めに

ホーチミンの胸像に向かって

起立をし、国歌を流したり

 

ベトナム戦争中、アメリカ人捕虜達に

「ハノイ・ヒルトン」と皮肉られた

ホアロー捕虜収容所にて

 

 

各展示物や写真に添えられている

説明の書き方が

まあ、史実ではあるものの

プロパガンダ的というか...

 

 

このホアロー収容所、19世紀末の

反仏のベトナム人政治犯たちを収容するため

フランスが建てた刑務所

 

拷問の道具、ギロチン等も展示してあり

中は全体的に暗くて冷たい

 

 

囚人に恐怖感を与える目的で

わざわざ壁を暗い色に塗ったらしい

建物の中の空気が重くて、気分が悪くなり

途中で写真が撮れなくなった

 

現在はカラフルで賑やかな街でも

 

 

悲しい歴史があることを思い知らされる

 

 

今回、ハノイで落ち合ったドクターの一人は

ベトナム戦争中、アメリカ陸軍医だった方で

「バックマイ病院プロジェクト」のディレクターだった

 

 

バックマイ病院プロジェクト」とは、

ベトナム戦争終戦後に始まった支援プログラムで

アメリカからハノイへ医師をを派遣したり

逆にハノイの医師ををアメリカへ送ったりし

医療教育や機器の提供によって

ハノイの医療改善に協力しようという企画だ

 

ホアロー収容所の中には

アメリカによる爆撃のため、廃墟と化した

バックマイ病院の写真が展示されていた

 

以前、敵として戦っていた人たちが

今は同じ目標のために

手を取り合って働いている

 

長さと深さに長短はあれ

歴史を知ることは大切だと思う

 

 

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