珍しく、「進撃の庶民」寄稿でない投稿です。
先日、アニメ映画『アシュラ』を見ました。
中世日本の庶民の悲惨さ、人間の業というものを遺憾なく描いた名作だと思います。
ジョージ秋山氏による原作漫画は昭和45年(1970)の連載開始ですが、アニメ映画公開は平成24年(2012)。40年以上の時を超えてのアニメ化。
アニメ化にあたってストーリー改変もあるようですが、私は原作未読なので、特に違和感なし。
1時間10分程度とコンパクトにまとまって、無駄のない良い展開だと感じました。
時は平安時代末期で、オープニングは養和の飢饉(1181年)でしょうか、荒れ果てた農村、人々の死骸があちらこちらに。そんな中、一人の女から廃屋で生み落とされた男の子が主人公。
母親はこの赤子を抱えてさまよい歩くうち、飢えに負けて我が子を焼いて食おうとしますが、果たせず逃走。どのようにしてかわかりませんが、赤子は生き残り、言葉も知らぬまま、人を殺してその肉を食らう獣のような少年(9~10歳?)となります。
旅の僧に餌付け(?)され、「アシュラ」という名前をもらった彼は、若狭(わかさ)という少女に出会い、その優しさに触れて徐々に人間らしさを得ていくのですが……
というところが前半のストーリーなのですけれども、メインの舞台となる村がなかなかにひどい状況。
養和の飢饉の危機は脱したようですが、独裁支配者である地頭(武士)が若狭たち農民から年貢を搾り取り、私腹を肥やしている。
そこへ今度は大雨からの山崩れで田畑は壊滅、さらに日照りで新たな飢饉が発生。娘たちを人買いに売る親が続出します。
そのような状況でも地頭は貯め込んだ糧食を民に分け与えようとしない。水路や田畑を整備するなど、民の困窮を救おうとすることもない。
これはまさに「公助」が足りず、「自助」も「共助」もできずに民が苦しみ、死んでいく社会。
それなのに、民はそのことに気づかず、地頭を責めることなく近親者や同胞と相争う。
何とも救いのない状況ですが、そこに立ち現れる真心(アシュラ)や人間の気高さ(若狭)は実に感動的。
原作連載時(70年代)には人肉食などの描写から非難ごうごう、打ち切りの憂き目にあった問題作らいいですが、そんなことは実に些細なイチャモン。
作画は美しく、内容もわかりやすく、かつ深遠。おすすめの映画です。
「進撃の庶民」様へ寄稿しております。(隔週土曜日連載です)