杉本五郎中佐遺著『大義』|解説 第四章『神国の大理想』の2 天皇精神発動による戦争 | ジョジョの忠義な哲学ッッ!

ジョジョの忠義な哲学ッッ!

ジョサイア・ロイスの名著『忠義の哲学』(Philosophy of Loyality / Josiah Royce)の「ジョジョ」訳を連載中です!
人類に平和をもたらす「忠義」について、『ジョジョの奇妙な冒険』との合わせ技で楽しく解説します。

ソクラテス像

 

引き続き、戦前日本のベストセラー『大義』(杉本五郎著)の解説連載第6回です。 今回は第四章「神国の大理想」の後半です。現代語での大意を示したうえで、これを現代に生かすべく、私なりの解釈・解説を行います。原文はこちらの「大義研究会」のサイトでご覧ください。

 

第四章「神国の大理想」後半の大意

 

「四海ノ内誰カ朕ガ赤子に非ザル」
(天下において私の子でない者がいようか)
また、
「罪アラバ我ヲ咎メヨ天津神、民ハ吾身ノ生ミシ子ナレバ」
(誰かに罪があるというのなら、天津神よ、私を罰してください。民は私の子なのですから)
 
という歴代天皇の絶対無限の大慈悲は、
 
「一切衆生成仏せずんば我正覚をとらじ」
(すべての人たちが救われなければ、私は仏にはならない)
 
の法蔵菩薩(阿弥陀如来)の四十八の大誓願となって現われ、また十字架におけるキリストの贖罪の悲願となった。人類救済こそは、歴代天皇の念願であって、建国の大理想なのだ。
 
釈迦もキリストも孔子もソクラテスも、天皇の子なのである。八紘一宇(世界は家族)実現のための機関的存在なのだ。世界を救って天皇の国とすることこそ、まさに日本人の使命である。
 
この聖戦において鉄火に焼かれようとも、何を怖れるところがあろう。そもそも、天皇の国に領土などない。現在の国土は、ただ天皇の御威光が届いた地域のこと。
 
(「周囲はすべて敵なのだ。国内でもめている場合ではない」
と言う者もいる。だが天皇精神発動による戦争は、領土拡張のためのものではなく、人類救済なのだ。天皇の御威光を傷つけ貶めようとする者は、国内国外を問わず敵であり、どちらも滅ぼさねばならぬ。)
 
天皇の国はそもそも無一物、執着すべき領土や財産などない。人類それぞれが自らの居場所を得て、安心して過ごせるようになった時、天皇の国、天皇の民の使命は終了する。各国が真の平和を得て、永遠にその喜びを楽しめるようになれば、天皇の国の理想は完成したと言える。
 
「世界は家族」の達成は天皇道によってのみ可能なのだ。我が国体こそ、宇宙最高の道徳、いや宗教である。世界を救い得る唯一無二の大真理である。国号「日本」をよくよく思うのだ。「太陽」を国旗とする大信念を省察するのだ。天皇を「天津日嗣」とお呼びすることを、何度も何度も深く考えるのだ。天皇の国の大理想が自然と明らかになるはずである。
 
橘曙覧先生の歌
一 一日(ひとひ)生きば一日心を大皇(おおきみ)の
     みためにつくす我が家のかぜ
二 大皇の勅(みこと)にそむく奴等(やっこら)の
     首引き抜いて八つもてかへれ
三 大皇にそむける者は天地(あめつち)に
     入れざる罪ぞ打つて粉(こ)にせよ
四 国汚す奴あらばと太刀(たち)抜いて
     仇(あだ)にもあらぬ壁に物いふ
(昭和一一、八、二五)
 
 

(解説)天皇はあらゆるものの「親」

釈迦もキリストも孔子もソクラテスも天皇の子、というところ、
みんな天皇より昔の人なのに、何言ってんの? と思われるかもしれません。

歴史研究家の長浜浩明氏によれば、神武天皇御即位は紀元前70年なのでキリストよりは前ですが……)
 
しかし、天皇は太陽神たる天照大神の心を受け継ぐ存在。万物を育む太陽は地上のすべてに先立つものということを考えれば、「釈迦もキリストも孔子もソクラテスも天皇の子」であることも至極当然です。すなわち、天皇(≒天照大神)はあらゆるものの「親」。
 
太陽は先ず地球を作り、大地をつくり万物を作った。そして、その万物を常にあたたかい光りで育成しながら、しかもそこから何の酬いも期待していない。ただ無限の愛をそそぎ、無限に育てていくだけなのだ。その太陽の心を心とし、大君を天津日嗣、国名を日本、国旗を日の丸とした国」
「畏くも天津日嗣をスメラミコトと申上げる。スメラとは天地万物を統べさせ給う大精神で、言いかえれば、釈迦も孔子もキリストも、わが皇祖の抱きましし大精神の、わずかに一部を説いているにすぎないのだ! これを諸君の欲する学問的な表現にかえるならば――歴史的考古学的な詮索はおいて――世界の人類は、原理的に悉くわが天津日嗣の子でなければならん!
(『軍神杉本中佐』 山岡荘八 産経メディックス p.100, 101)
 

(解説)芥川龍之介と施光恒氏

他宗教を排斥しようとするものでは決してなく、すべてを包括するものが天皇精神なのです。仏教、キリスト教、儒教、いずれも日本の理想「八紘一宇(世界は家族)」を実現させるために働くことができる。
ここで想起するのが、芥川龍之介の短編「神神の微笑」
 
我が国においては、仏教も儒教もキリスト教も日本流の温和なものに造り変えられてしまう。大日孁貴(おおひるめのむち)=天照大神以下、日本の神々と共に歩むことになってしまうのです。施光恒氏らの言う「翻訳と土着化」は宗教においても作用すると言えるでしょう。
 
もっともこれは敬神崇祖、伝統尊重といった精神が国内にみなぎっていてこそ。「今だけ、カネだけ、自分だけ」のニヒリズムの広がりや、野放図な移民受け入れを抑えなければ、この「造り変える力」を保つことはできないでしょう。
 

(解説)精神の「聖戦」

続いて問題になりそうなのが、
 
「世界を救って天皇の国とする=聖戦」
「天皇精神発動による戦争は人類救済」という辺り。
 
狂信的危険思想! 世界侵略の野望が!とかいう反応が出そうですね。
しかし、そういう脊髄反射は誤りです。
 
「世界の人類は、原理的に悉くわが天津日嗣の子」ですから、ただ権益のために他国へ侵略したり殺戮したりすることは肯定され得ない。
 
聖戦は何よりもまず、心の戦い、精神の戦い、そしてその一環としての言葉による戦いです。
 
私益・保身を優先したい自分に勝ち、国内に蔓延する「今だけ、カネだけ、自分だけ」の精神を駆逐し、真の文明国としての手本を世界に示す。(ここで言う「文明」とは西郷隆盛の言う「道義があまねく行われていること」です。)
 

(解説)帝国主義時代の「聖戦」

杉本中佐の生きた時代、昭和初期はまだまだ帝国主義の時代。白人欧米国家による搾取、植民地支配が世を覆い、取るか取られるか、殺るか殺られるかで各国がせめぎ合う時代です。
 
搾取に苦しむインドやアジアの人々を救うには、精神面での戦いのみではすまなかった。日清戦争・日露戦争・大東亜戦争等を戦わねばならなかった。
 
もちろん、様々な批判があるように日本の戦争にも汚点はあったでしょう。時局により、国内においてすら「精神面での聖戦」が完徹しない状態で戦わざるを得なかったのですから当然です。
 
それでも、天皇の大命が下り、多くの日本人が「八紘一宇」の理想を胸に「流血の聖戦」を戦ったからこそ、帝国主義・植民地支配の時代を終らせることができた。
 

(解説)現代の「聖戦」

とはいえ、現在も「聖戦」は続けねばならない。
 
国内でも世界でも、グローバリズム、多国籍企業第一主義、「今だけ、カネだけ、自分だけ」が猛威を振るい、格差拡大・貧困層増加が進む。新たな国境・国籍を超えた「植民地支配」の時代です。思想・言論面での「聖戦」が重要さを増していることは明らか。
 
我が国日本が救われれば、世界が救われることにつながる。
日本人としての自信は大いに持つべし、されどそれを以て他者・他国を侮り、嘲ってはならない。
 
「四海ノ内誰カ朕ガ赤子に非ザル」の大御心を胸に、「聖戦」に取り組む。
それが『大義』を現代に生かす道だと思います。
 
 

最新記事は「進撃の庶民」様へ寄稿しております。(隔週土曜日連載です)

 

 

九州の原子力発電の活用について、↓のブログで署名を募っています。

https://ameblo.jp/rekishinavi/entry-12576516348.html

 

氏名・会社名での署名となっていますが、特に所属先のない方は住所(区まで)でもかまわないそうです。ぜひ御協力をお願いします。