すごい出会いがあった。クローバー


ことの発端は友人サシャ。


東京在住のオーストリア人(かなりレア)、ものすごく頭がよくて、

好奇心旺盛。いいたいことずばずば言う。すばすば言い合える仲♪


そんな彼が今度関わることになったというビジネスを紹介してくれたのだ。

連れて行かれたのは渋谷近郊の事務所(?)。

彼のビジネスパートナーがやさしい笑顔で迎えてくれた。

(Sさん、いい人にじみ出てた ^ ^ かなり素敵ドキドキ


説明受けること二時間・・・であったのは・・・・・


世界トップクラスの商材と他にないグローバルなビジネスモデル

                       ひらめき電球

・・・・なにこれ!?まじすごい!!すごい!すごい!すごーい!!

ヽ(゚◇゚ )ノ

その場で私も参加することを決断。


正直こんなに壮大で、緻密で、すばらしい(とにかくすばらしい!)ビジネスだなんて

予想もしていなかった。


一番感動したのが理念、ミッション。

「よいことのために力を」「世界の子供たちのために売上の5%を寄付」

「安心してつかる本当にいい商品の提供」「対価の仕組み」等々、、まだ全然全部飲み込めてないけど、

超勉強になることばっかりだ。


「どんな人生を送りたいの?」 これを続ければその答え=実現可能だ。

びっくりした。


どんなことかはこれから少しずつ書いていくことにします。

こうご期待虹



三月も残すところ10日をきった。
四月からついに定職を得る。
そこで、決意確認も込めてこの場でなぜ自分がこの会社を選んだのか整理したいと思う。

ちらほらリクルート姿の学生を見かけるこのごろ。
ちょうど一年前を思い出し、なんだか懐かしくなる。
私も一年前は就職活動をしていて、自分の今までとこれまでについて考え抜く日々が続いていた。

活動を続けるにつれ、様々な価値観の中から二つのポイントが自分の中での企業選びの基準として絞られてきていた。

私の企業選びの基準
①その企業が自分自身をコミットさせたいと思うビジネスモデルをもっているか。②その会社で働いている人がいかにシゴトに対するモチベーション高くもっているか。

という二点を大枠として、面接の時には伝えていた。
この中には、実は私のシゴト観が詰まっていると思う。

一ついえるのは、私はシゴトを楽しみたいということ。
そういうと少なくともうちの父親は何もわかってないという事だろう。
先に就職した友達の中でも仕事が楽しいという人はごくまれである。
なんだかこっちまで苦しくなってしまうくらい、辛い状況にいる友達もいる。
理想かもしれない、それはわかっている。

インターンではあってもベンチャー企業で実際に仕事をして、現実と理想のギャップについても少しはわかっているつもり。

では、なぜそれでも楽しみたいか。
シゴトを楽しみたいということは仕事を楽にこなしたいという意味ではない。
自分が好きなフィールドで仕事ができる。その前提さえあれば、目指す目標さえもっていれば、そこに困難があるということがとてつもないチャンスのように思えるからだ。その困難を乗り越えることができたなら、今までにない自分を手に入れられる、そんなチャンスがあるように思えるから。

ピンチの時はチャンスになりうる。誰かがそんなことを言っていたけど、考え方を転換すれば、辛いことでもきっと楽しめる。きっとこやしに変えていける。人生のうちの大きな一部を占めることになるであろうシゴト、それを義務で、お金のためだけに、しかたなくこなしていくだけなのは、自分自身が革新できていないと虚無感に陥ることは、多忙なる困難だらけの日々を過ごすよりずっと辛いことかもしれない。

それだったら少なくとも私は困難な道を選んで、それを楽しんでやりたいと思った。

そしてそうなるためには、自分自身でその会社を’選んだ’というコミットメントが一番大切だった。自分で選べば辛くてもそれを他人や環境のせいにはできない。

だから探し続けた。わくわくするビジネスモデルをもって、一緒に働きたいと思える人びとが集う会社。

そして見つけた。幸運にもそこで働く権利を得ることができた。
条件は整ったのだ。最高のスタート地点、後は実際走り出す。

どうなることだろう。
今はとにかく自信がないし、不安も大きい。
でもきっと絶対なんとかなるし、大丈夫だと信じたい。

最後に、尊敬する先生から卒業式に貰った言葉。
「若き友よ、多忙のニヒリストとなるなかれ!」

楽しまなきゃ。
入社までついに二週間をきった。もうすぐ社会人。(やっとだ。)
一体どんな風に自分は変わっていくのだろう。
気持ちを少しでも切り替えやすくするために今日は少し今までの学生でも社会人でもない時間を振り返ってみたいと思う。

属するものがない。ということがこれほど不安定なものだとは思わなかった。去年9月に卒業をしてからずっと学生でもなく、社会人でもない中途半端な「立場」に苦しんできたと思う。
それまでは学生という土台ともいえる自分の位置づけがあって、そのうえで様々なことに目的をつなぎ、自己と社会とのつながりを見出すことができていた。 その土台が消えたのだ。無所属。

とたんに、社会と自分との関係性は不確かなものとなり、断片的にしか自己を認識することができなくなった。

自分は一体何のためにここにいるんだろう?

とたんに、自分が存在していることの意味づけができなくなる。(なさけないことに)どこともつながりがない不安、やる気がだせない焦りに足元をすくわれる。

どうやら自分は今直面している環境や状況に大きく影響される人間のようだ。逆に言うと自分の存在意義やモチベーションをそれに頼ってしまう。自身で充足を創造できない。
刺激されないと怠惰になることを自分自身で制止できない。
結果、ダメ人間意識が募っていく。
本当にダメになっていく。

強くなりたいと心では願うのに、行動がともなわない。身体に力が入らず、心が磨耗していく。
自分自身でカラをやぶれない。弱くなるばっかりだ。 少し前のゴールにたどり着く前に自分が持っていたはずの目標やそれに対する情熱がすり抜けて遠くへ行ってしまう。(いや、距離をつくったのは自分自身なのだろう。)

ポジティブにとらえるようにしても正直今は不安のほうが大きい。これから残された日々で少しでも運動不足な心を動かしたい。 また走り出したい。恐怖心を捨て、柔軟でいよう。がんばらなくちゃ。
初回なので、タイトルにかけて食べ物の話から(笑)

寒い季節。
身が縮こまるような外気から逃れるべく、すぐにどこかへ立ち寄りたくなる。
室内の暖かさにほっと肩の力が抜けて、ちょっとお財布の紐も緩みおいしいものが食べたくなってしまうのだ。(^^)ほくほく

そんな流れに乗ってしまい、先日主食をすませたにも関わらずよってしまったのは品川アトレ四階にあるNY発のグランド・セントラル・オイスターバー☆

生牡蠣。
旬の物としては大本命。
もとい、大好物である。

メニューにずらっとならぶ種類。
微々たる味の違いや深みははっきりいってあまりよくわからんので、満足感をとってサイズの大きさを重視する。「大きいものお願いします♪」。。

手のひらほどもある大粒の生牡蠣が砕かれたアイスの上にのっかってよ~く冷えた状態で運ばれてくる。レモンを絞り、オススメされたソースを少し垂らして、口いっぱいほおばるときの恍惚感といったらたまらない。(*^~^*)

その身を押し込んだ瞬間、もう、(>_<)こう、口いっぱいに磯の香りが広がり、一口それをかみ締めるごとにレモンの酸味に引き立てられた濃厚な大海の旨みが舌に確かな存在感を残す。自然と顔は至幸の表情へ。

牡蠣嫌いを目の前に(かわいそう)、5つほどたいらげ人生の喜びを味わった。
これは生がポイントなんだよね。
ほとんど人の手を加えずに、素材の真髄を味わう。
贅沢だなぁ~。