小説『百年の孤独』とゲーム『オブリビオン』の類似性について |   EMA THE FROG

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ガルシア=マルケス(Gabriel Garc´ia M´arques)の『百年の孤独』という小説を読んだ。

決して分厚い本ではないのだけど、改行がほとんどないフォーマットの上に固有名詞がギッチリつめ込まれた濃密な文章が延々と続いているものだから(しかし決して読みにくくはない)、手元に届いてから読み終えるまで2ヶ月近くかかった。

一言で言えば「マコンド」という町の誕生から消滅までの約100年間をひらすら書き綴った作品で、創始者のホセ・アルカディオ・ブエンディーアから最終的には7代後(!)の子孫まで、ブエンディーア家の人間だけでも数十人、その他の人物まで入れれば恐らく100名はくだらない人物たちが、マコンドという町を舞台に生きている様子をただただ書いている。「ひたすら」とか「ただただ」という表現を使ったのは、つまりこの膨大な文字列の中に、「意図的な物語」がほとんど存在していないという事を僕は言いたいのだ(しかし作品全体としては「壮大な物語」となっている)。

僕はこの不思議な印象、つまり登場人物たちがマコンドという町で「普通に生活しているような」印象を、どう説明すればいいのか悩んでいたのだけど、いまパッとひらめいた。つまりあれです、『オブリビオン』。ドラクエやFFとは違い決まった道筋はなく、主人公の行動によってその後の展開が変わっていく、フリーシナリオゲームです。で、このゲームの中では、街の住人達は「それぞれの生活様式を持っている」。朝起きて、仕事場に向かって、仕事をして、家に戻って、夜になったらベッドに入って寝る、という行動を(実際にテレビの画面上で)しているわけです。それぞれが、それぞれに生きている。現実社会と一緒です。

『百年の孤独』が、というよりはその舞台であるマコンドが、このオブリビオンの街にそっくりということ。そしてこの『百年の孤独』という作品は、マコンドで実際に起きた特徴的な出来事だけをピックアップし、後で編纂したドキュメンタリー本のように感じるわけです。

語られるエピソードは、空飛ぶ絨毯やら家の中をうろつく死者やらとファンタジックなものも多いのですが、とにかくその描写が淡々としてかつ細部に渡っている為、なんだか創作だということを忘れてしまう。世界のどこかにかつてマコンドという街は実際に存在して、そして100年で消滅したのだと本当に信じてしまいそうになる。分かりやすい物語があって、そこに必要なキャラクターを機械的に配置していくような小説とは対局にあるというか、とにかく登場人物たちをマコンドという街で自由に行動させたらこうなりました、という独特の作風にハマってしまいました。まるでシムシティだぜ。

ステマじゃないけど、オススメです。



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