新しい世界 |   EMA THE FROG

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    roukodama blog

いわゆる「転勤族」の家で育ったせいか、僕は知らない土地で住む事に抵抗がない。たとえば今の職場は千葉だが、大阪のオフィスから異動する事が決まり、家探しの為にやってきた時が、僕にとっての初・千葉だった。幼少の頃にディズニーランドに来た事を除けば、僕は千葉県内に足を踏み入れた事すらなく、また、千葉がどんな場所なのか、どんな文化がある土地なのかも、まったく知らなかった。

しかし僕は(そして、同じく転勤族の家で育った嫁も)、全く知らない千葉という土地で生活を始める事に、ワクワクしこそすれ、不安は感じなかった。いや、不安は常にあるのだ。しかしその不安は、心の中でいつの間にか「希望・期待」という固い殻に包まれ、その性格を180°変えてしまう。どんな人がいるのだろう、どんな街があるのだろう、どんなお店が並んでいて、どんな美味しい料理が食べれるのだろう。僕が好奇心旺盛で、良くも悪くも人に期待を投げかけやすい人間であることと、僕が転勤族で育ったこととは、無関係ではない気がする。

神奈川、愛知、岐阜、長野。そして家を出て大阪、千葉に移動すると同時に結婚。思えば、割といろいろなところで暮らした。その土地の数だけ、方言も学んだ。三河弁、岐阜弁、松本弁、関西弁に、千葉弁。ここに神奈川がないのは、僕にその頃の記憶がないからだ。3歳くらいまで住んでいたらしい。また、その居住地遍歴の中に、アメリカ・ミズーリ州にあるケープジラーデューという小さな町も加えておきたい。たった1ヶ月間だったが、僕はその街で暮らした。牧師の家にホームステイしながら、近所の大学で英語を学び、外人の友達と酒を飲み、語り合い、知らない世界を知った。たった1ヶ月で、それなりに英語を覚えた。

僕はそういう自分の性格が、割と気に入っている。そういう性格というのはつまり、自分の知らない新しい世界に対して、不安よりも希望・期待を抱きやすい性格のことだ。それは、居住する土地に関してだけの事ではない。例えば僕ら夫婦はいま、初めての子育てに没頭中だ。大変だけど、楽しい。新しい世界だ。例えば僕は最近、自分では完全に苦手だと思い込んでいた原稿の校閲業務を任されている。予想通り苦手なのだが、今まで全く使っていなかった部分の脳みそが動き始め、だんだんと訓練されていく感覚は悪くない。新しい世界だ。例えば、僕は最近生まれて初めてアシンメトリーな髪形にしてみた。左側頭部だけ刈り上げているせいで、左右で風の感じ方が違う。新しい世界だ。

子育ても、原稿の校閲も、アシメトリーな髪形も、それを行う前には(あるいはその最中も)不安はあった。ハンナを立派に育てられるだろうか、校閲ミスをして多くの不備を出すのではないか、こんなふざけた頭で出社してクビにならないだろうか…。

でも、僕はするのだ。なぜなら、その不安を希望や期待が上回るから。そして経験上、やらない時よりやった時の方が気分がいい事を知っているから。もちろん子育てしかり校閲しかり、やるやらないの選択肢が僕にない場合もあるが、それでも僕は、「やらされている」のではなく、「自分でやると決めたのだ」という意識でそれに取り組むことができる。髪型にしたって、僕はそれなりの覚悟を決めてから切ってもらった。クビになる覚悟、ではない。髪型についてあれやこれや言われた場合、論理的に相手を納得させる説明を行う覚悟、である。

何れにせよ、新しい世界を知る事で、新しい仕事を経験する事で、僕は自分がレベルアップできると、妙に無邪気に信じてしまっている。少し前に、「人生は有限だから、取り入れる情報は取捨選択しなければならない」というような事を書いたが、ちょっとそれと矛盾するような気もするが、まあいいか。とにかく僕は、幸運なことにそういう性格の人間で、できることならこの先も、そういう人間でいたいなあと思う。大阪時代に知り合った、今では立派に自分のBarを持っているある友人がこんな事を言っていた。「俺は常に、肯定から入るんですよ。否定から入っても、得るものは少ないから」。

こんなご時世、未来に対する不安は増すばかりではあるけれど、僕の心の中では、その不安のいくつかが、いつの間にか希望や期待に変化している。O型特有の大雑把さと、転勤族で育った経験を武器に、僕はこれからも、新しい世界に貪欲でありたい。そして、そうでなければならない。そろそろ、次のステップを視野に入れた行動をしていこうと思っている。無邪気に、元気に、ドキドキしながら。