媚びず、諦めず、それでいて親切な表現を。 |   EMA THE FROG

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心に素敵なひらめきが訪れたとき、一歩立ち止まり深呼吸して、「なぜ?」を考えることを大切にする。「なぜ?」を考える事を諦めない。「なぜ?」を考える事を怠けない。それこそ表現者が(自主的に)守っていかなければならないスタンスなのだった。

~「なぜ?」を徹底するという事は、ある意味では「直観を否定する」という事でもある。「なぜ?」のスタンスは、直感・ひらめき・センスを根拠とした(つまり言ってみれば「無根拠」の)表現を拒絶し、あくまでロジカルな「理由」を求める。何となく格好いいから、何となくひらめいたから、とにかくこれが僕のセンスなんです、そんな主張はあっさり退けられてしまう。理由のない表現は、(たとえそれが芸術作品であっても)弱い~

というような事を、最近はつよく意識しながら「表現」に臨んでいる。何を伝えたいのか、なぜ伝えたいのか、誰に伝えたいのか、あるいは、どう伝えたいのか。そういう事を、表現する「前」に考えるということ。(「理由」は後付けであってはならない。表現の動機とつよく結びついていなければならない)。物語は、語られる限りに於いて価値がある。表現は、表現を受け取る人がいて初めて存在を認識される。そういうことをつよく意識しながら、モノを書く、デザインする、アイデアを練る。

あらためて想い馳せれば、かくも表現とは非孤独的なものか。ひとりではない。表現は(結果的に)常に誰かと共にあった。

僕の大好きな、あるいは大嫌いな写真家、藤原新也【メメント・モリ】の中に、カラフルだがやけに寂しげな骨壷(らしきもの)の写真があり、こんな言葉が添えられている。

「ひとがつくったもので、ひとがこもらないものは、寒い」

これはまさに、表現にも当てはまる。



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