「意味などない」という意味のない言葉 |   EMA THE FROG

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好きな文章家(プロの作家ではないようなのでこう呼ぶ)に川井俊夫という人が居て、曰くこんな事を言っている。

【地上では、それぞれに夢や目的や信念を持った、劣った人間たちが、精一杯に生きている。彼らは、自分が、ただ何の意味もなく、虫ケラが生まれるみたいに生まれたなんて、夢にも思わない。自分の生には必ず何か意味があって、果たすべき目的や義務があるのだと信じている。虫ケラは、小鳥やクモに食われるために生まれてくるのでない。ただ生まれてきて、運悪く道に迷い、目の前の小鳥やクモに食われるだけだ。小鳥やクモも、ただ虫ケラがいるから、食うだけだ。食物連鎖と呼ばれる自然の営みに、奇跡や真理があるなんていうのは、精神病患者の寝言に過ぎない。俺たちはゴキブリみたいに勝手にポコポコ生まれてきて、たいした理由もなく死ぬ。地球も、宇宙も関係ない。総意も、人類も】

彼はそう言うけれど、自分が特別な存在で、何か圧倒的な存在から請け負った使命のもと生まれてきたのだという類の思い込みは、それが真実であれ妄想であれ、何かしら生産的な行動に結びつく以上に於いて、かなりの爆発力を持ったガソリンとなる事を僕は知っている。奇跡や真理なんて大そうな話になるとむしろ若干冷めてしまうのだけど、それでも例えば、「俺には文章を書く才能があるに違いない!いやむしろ文章を書く事こそが俺に課せられた使命なのだ!」という根拠のない思い込みが、結果として僕にキーボードを叩かせ続けている一番のエネルギーである事は、これはもう、確かなんですね。で、もしもこの先僕が多くの方々から認められるような文章書きになれたとしたら、それは実際には多分「書き続けてきた事=長年の訓練」の賜物なわけですが、きっと僕は「ほらやっぱり俺には才能があったんじゃないか!やっぱりそうだったんじゃないか!」と、その原因を才能だとか使命だとかに求めてしまうだろう。ま、思い込みがあるから続けられるし、続けられるから思い込みが真実に変わっていく、そんな、永久機関みたいな感じのやりとり、悪くないじゃないですか。

一方で、僕は川井さんの言う事にも非常に共感する。共感というか、そらそうだろ、と思う。1人の人間が生まれ、死ぬ。1匹の蟻が生まれ、死ぬ。現象としてその間に差異はない。生まれる事にも、死ぬ事にも、直接的な原因(性交とか、受精とか、交通事故とか、病気とか)はあるにせよ、奇跡とか使命とかそんな壮大な意味はないだろう。繰り返すが、「現象」として。しかしこれが、「感情」の話になると全然話は別だ。僕にとって、僕が死ぬ事と蟻一匹が死ぬ事は全く同列ではない。当たり前だ。僕は僕に思い入れがある。蟻にはない。蟻を踏み潰す事で自分の命が助かるのなら、僕は何万匹だって奴らを殺すだろう。

まあ要するに、現象と感情は別なんだという当然の話。だから多分、現象として僕らの人生に大した意味はないのは事実だが、感情的により豊かに暮らしたいから、自分でどんどん脚色していっちゃいましょうとかそういう事なんだけど。「現象として見る視点」は一応維持したまま(だってもう大人だから)、ベテランのピエロのように、虚構に真摯に、自分の人生は誰より素晴らしいものなのだと信じる役を、ウキウキと演じる。「嗚呼、素晴らしき哉人生!」と、若干照れながら叫び、家族に向かってえへへと笑う。そんなのがいい。考えるまでもなく、「現象として自分の人生に大した意味がない」って事自体に、そもそも大した意味などないしね。


ともあれ明けましておめでとうございます。

しばらく更新がストップしていたのも、新年早々、まとまりのないこんな可笑しな文章書き散らしているのも、実は同じ理由。



わたくし、パパになりました。



去る12月22日、3000g弱の元気な女の子誕生。
感情的に、彼女の命はどんなVIPよりも価値があると感じる。
当たり前だ。僕は既に、彼女に思い入れがある。
誰にも文句は言わせない。

宇宙にすら。