1億円使えと言われたらなにに使う? ブログネタ:1億円使えと言われたらなにに使う? 参加中

一生持つことはないだろうと思っていた高額のお金を、もし持つことが出来たらどうするか。よくある話です。


こういう話になると非現実的な妄想しか出て来ないのは、話にリアリティーが無いからです。もし1億円手に入ったら、とか言いますが、絶対にそんなことはあり得ないだろうと、皆、確信しているからです。そして、その確信はほとんどの場合、事実です。


庶民が合法的に巨額のお金を手にいれる可能性は、宝くじくらいしかないでしょう。そして、これまた当然のことですが、何億円という宝くじに当選したことは、誰も口外しません。理由は皆さんお分かりだと思います。ですから、身の周りにいる人で宝くじに高額当選した人なんているわけないし、現実に何億円というお金を持ったら人がどうなるかも分かりません。


そんなわけで、1億円の使い途なんて全く分かりません。1円も使えないような気さえして来ます。
ゴールデンウィークの予定立てた? ブログネタ:ゴールデンウィークの予定立てた? 参加中

特に何も立ててませんね、ゴールデンウィークの予定。多分、いつものように仕事をして適度に遊んで、ということになります。


連休となると見事に旅行に行ったりする人がいます。もちろん海外に。そんな風に思い切り遊べる人が羨ましいです。貧乏性の私は、他人に迷惑がかかったらと思うと、そんな風に能天気になれません。


思えば学生の頃から、特に連休だからと言って遊びほうけることはありませんでした。ふだんと変わらぬ生活。あまり変わったことをすると、その後、元に戻すのが大変です。


この貧乏性は一生ものです。
終わりよければすべてよし? ブログネタ:終わりよければすべてよし? 参加中

時と場合によると思いますね。全部が全部、終わりよければすべてよし、とはならないと思います。


反対の方が大事なこともあります。結果より、そこへ行くまでにどういうことをやったか。どれだけ手を抜かずに努力したか。たとえ結果が思わしくなかったとしても、やったことは無駄になりませんから。そういうことが大事なこともあります。


最近は「終わりよければすべてよし」という言葉が、結果オーライと同義の気楽な意味合いで使われているのが良くないと思います。結末が大事だと言う考え方と、とにかく上手くおさまれば良いと言うのは違いますから。いずれにせよ、プロセスも大事だと思います。