1993年5月19日
Jリーグ ファーストステージ 第2節
浦和レッドダイヤモンズ  -  名古屋グランパスエイト (駒場)


浦和レッズの記念すべきJリーグ初のホームでの試合は名古屋グランパスエイト戦。
グランパスはカシマ、駒場と開幕からアウェイ連戦でのスタートでした。
グランパス注目の選手といえば、言わずと知れた世界のストライカーリネカーでしたが、他にも
森山泰行や沢入重雄といったFW陣と合わせて、どういう攻撃を仕掛けてくるのかが注目の的でした。

さてこの試合は、私の記念すべきJリーグ初観戦試合でもありました。
ゴール裏からの応援でしたが、当時の駒場はあまり傾斜のない芝生席で観戦には不向きな作りでしたね。
それでも応援は熱かった!!
あまりにもキャパの狭かった駒場でしたが、サポーターが作り出す独特な雰囲気が好きで、今でも忘れられないですね。

試合の方は開幕戦同様、シュート数では相手を上回りながら決定力不足が響き敗戦。
惨敗で嵐の船出となったレッズ。
しかし、この嵐はまだ嵐と呼べるものではないということを、この時まだ知る由もありませんでした。


【他会場の結果】




Vゴール方式の延長戦は画期的なルールでした。
個人的に1999年の福田正博の「世界一悲しいVゴール」までは好きなルールではありました。
この頃は野球のサヨナラゲームに因んで、Vゴールを「サヨナラゴール」とマスコミは表現していましたね。

さて、連敗スタートとなった優勝候補のヴェルディはベテランの加藤久の退団宣言などのお家騒動が勃発。
松木監督も大変だったでしょうね。
「(ジェフに相手に惨敗を喫し)見た通り書いてよ。それが一番助かるよ」(ラモス瑠偉)
ちなみに加藤の移籍先はレッズで決まりという報道がありましたが、最終的に条件面での折り合いが合わずエスパルスになりました。