1990年10月23日
「サッカーのまち浦和」の運命を大きく変えた日。

「本田技研としては、プロ化を断念しました。浦和に行くことはできません」

ほぼ決まりかけていた浦和をホームタウンとする本田技研のプロサッカーチーム計画が、土壇場でまさかの白紙に・・・
その頃、東京のチームだった三菱は江戸川競技場ホームタウン計画を進めていたが、交渉は難航。
「三菱が(浦和ホームタウンの)可能性があるかもしれない」
即座に動いたのが川淵三郎チェアマン。
11月13日、三菱自動車の役員会で「浦和を本拠地にしてプロリーグに参加する」方針が決定。
浦和や埼玉県からは「なんで(何の繋がりもない)三菱なんだ」という反発があったものの、最終的には三菱を受け入れるという方向で決着。



翌年の2月14日、日本サッカー理事会の承認を受けて、浦和市で三菱自動車を母体とするチーム、『浦和レッドダイヤモンズ』がこの世に生を受けました。



浦和の街にプロのサッカーチームがやってくる!!


この一報を初めて聞いた時の胸の高鳴りは、今でも忘れられませんね。



たらればの話にはなりますが、もしホンダがそのまま浦和に来ていたら・・・
当然、チーム名はレッドダイヤモンズ(レッズ)ではなかったでしょうが、それでも「レッド(赤)」にちなんだ名前になっていたのかなと思ったりもします。
やはり、浦和 = 赤き血のイレブンですからね。