こんばんは。
昨日(10/11)は、年1回の立山町HPより応募して、
立山カルデラ砂防施設見学会だったが…
立山カルデラは、年間の来訪者数も限定されていて、
普段はなかなか入ることができない秘境の地を、バスに乗って訪れ、
トレッキングしながら、自然、歴史、砂防について学ぶはずだった。
残念ながら雨で中止となりました。
変わって、博物館見学他に変更されました。
立山カルデラとは
立山・黒部アルペンルートのすぐ隣(弥陀ヶ原台地の南側)に、
活火山活動と侵食によりつくられた地形『立山カルデラ』があります。
知られざるもう一つの立山ともいうべき『立山カルデラ』
周囲を切り立った断崖で囲まれ、容易に近づけないのであまり知られていませんが、
中部山岳国立公園の一部です。
歴史
かつて常願寺川(ポテトんち近くを流れる一級河川)は、
立山カルデラから流出する土砂が原因で洪水氾濫を繰り返し、
「日本一の暴れ川」と呼ばれたことがあります。
説明では「世界一」と言っても過言ではないと。
始まりは、1858年4月9日(安政5年2月26日)の安政の大地震。M7。
飛騨(岐阜)、越中(富山)の県境、鳶(とんび)山崩れで、
地震の被害はあれども、半月の時期を置いての、4月、6月に大洪水発生。
せき止めてた泥砂が大海原と化し、ポテトの住むとこも直撃したんだって。
ちなみに、安政の時代は、地震が頻発してて、同じように山津波で、
長野県善光寺では、かなりの被害が出たそうです。
山津波、日本列島が折れ曲がった構造上、地形的宿命と言うべきであろう。
頻発する洪水にたまりかねた富山県は、
明治39年に立山カルデラ内で砂防工事を始めましたが、
自然の猛威の前になかなか工事がはかどらず、大正15年、国の直轄工事として、
立山砂防工事事務所に引き継がれることになったのです。
立山カルデラには、今なお多重の不安定土砂が残っており、
富山平野を、厚さ数mの土砂で覆われてしまう程の量だってさ。
洪水を防ぐための「治水工事」や、山地からの土砂流出を防ぐための「砂防工事」が、
富山平野のより一層の安全をめざしてたゆみない砂防の努力が続けられているのです。
常願寺中流、周辺には、100~600トンもある巨石が40個ほど点在しています。
川の上流部には数千個とあるらしい。こんな大きな石が流れてきたんだね。
近くにもあるょ~
立山カルデラ砂防博物館HPより一部抜粋
常願寺川 農人の記憶ー山をも流した河HPより抜粋
1971年(昭和46)立山黒部アルペンルート全線開通しました。
立山駅(標高475m)まで、車で40分くらいです。
雨のせいか、駐車場は空いてました。
立山駅近くにある「立山砂防事務所」が、集合場所です。
立山砂防事務所裏から、トロッコが出ています。
今回は、トロッコを使わない「立山カルデラ砂防施設見学会」だったけど、
トロッコを乗ってのトロッココース見学会もあります。
もう、今年の応募は締め切られたけどね。
立山砂防工事専用軌道。工事の方々、ご苦労さまです。
一般参加者16名、添乗員、砂防事務所の方4名で、マイクロバスにて出発です。
説明が長くなったので、今日はここまでです。
つづく…(コメ閉じ)
ポテトは、またお留守番でした。ありがとうね。
ema