
■高宗 役/イ・ジュン(幼年期)、イ・ジヌ(成年期) ■興宣 大院君 役/ユ・ドングン

朝鮮王朝第26代王(在位1863~1907)。

朝鮮王朝第26代王(在位1863~1907)。
■大王妃 趙(チョ)氏 役/キム・ヨンリム ■永保堂李氏 役/チョン・ソンギョン
■閔大夫夫人役/イ・ドッキ ■感古堂李氏 役/ソヌ・ウンスク
また、歴史というものは、特定の人間によってなされる認識のひとつに過ぎず、
言うなれば人間ごとに“歴史”が存在しうるのだ。
みどころ
歴史とは、後に立って過去を振り返る所作である。また、歴史というものは、特定の人間によってなされる認識のひとつに過ぎず、
言うなれば人間ごとに“歴史”が存在しうるのだ。
“明成皇后”は、ある意味、朝鮮近代史においてもっとも象徴的な人物だと言えよう。
俗に言う“閔妃(ミンビ)”という呼称は、“明成皇后”を卑下した呼び方で、当時の日本帝国主義が、
植民地史観に基づいて付けたものだ。
俗に言う“閔妃(ミンビ)”という呼称は、“明成皇后”を卑下した呼び方で、当時の日本帝国主義が、
植民地史観に基づいて付けたものだ。
“明成皇后”に関する多くの否定的な認識は、帝国主義の日本政府が、明成皇后を弑逆して朝鮮を強制的に占領した事実を正当化するために作り出した、歴史の捏造と偽造に起因するものが大部分を占める。
「権力に執着した女」、「国家の利益を犠牲にして、親族の利益を図った女」、「闘争心と気まぐれにまみれた女」、これらはすべて、明成皇后を弑逆した当時の日本の名分である。
衰弱した朝鮮王朝、侵略のツメを隠そうともしない欧米列強と日本の野心の前に、朝鮮の独立を引き出した
「鉄の女=明成皇后」。彼女の偉大さは、日本の初代総理大臣=伊藤博文が漏らした、
「朝鮮を侵略するためには朝鮮の国母を弑逆するほかない」という嘆息に含蓄されている。
「鉄の女=明成皇后」。彼女の偉大さは、日本の初代総理大臣=伊藤博文が漏らした、
「朝鮮を侵略するためには朝鮮の国母を弑逆するほかない」という嘆息に含蓄されている。
この時代、明成皇后と比肩する人物といえば、大院君だ。外戚とそれを支持する政治家たちにより、
失墜した王室を再び立て直し、強固な国家再建のため、改革の先鋒にたった大院君。
そして再び王室を守るために保守に回った興宣大院君。
失墜した王室を再び立て直し、強固な国家再建のため、改革の先鋒にたった大院君。
そして再び王室を守るために保守に回った興宣大院君。
彼の没落の過程は、朝鮮王朝の最後の姿でもある。
■明成皇后と興宣大院君の確執・ドラマと言える。
1864年、急逝した哲宗の跡を継ぎ、朝鮮王朝第26代の王、高宗が即位した。
哲宗に世継ぎがいなかったことによる、政治的取引の産物であったが、これにより権力を握ったのが、
王の実父である興宣大院君(以下、大院君)であった。
哲宗に世継ぎがいなかったことによる、政治的取引の産物であったが、これにより権力を握ったのが、
王の実父である興宣大院君(以下、大院君)であった。
大院君は、安東金氏や豊壌趙氏の勢道政治により、王族でありながら不遇の日々を強いられた。
そうした状況を打破するべく敏腕を振るう大院君にとって、直近の課題が2点あった。
第一に大王大妃趙氏による垂簾聴政を終わらせること、第二に高宗の王妃を定めること。
そこで、妻である府大夫人閔氏の一族である、閔ジャヨンに着目する。
そうした状況を打破するべく敏腕を振るう大院君にとって、直近の課題が2点あった。
第一に大王大妃趙氏による垂簾聴政を終わらせること、第二に高宗の王妃を定めること。
そこで、妻である府大夫人閔氏の一族である、閔ジャヨンに着目する。
15歳の時(1866年)に、王の実父である大院君の夫人閔氏の推挙で王宮に入った。
明成皇后が王妃に選ばれた理由は、それ以前の60年間に及ぶ外戚安東金氏による勢道政治による
政治の壟断からの脱却を逃れる為に、外戚としての影響力の少ない人物を選んだからだと言われている。
政治の壟断からの脱却を逃れる為に、外戚としての影響力の少ない人物を選んだからだと言われている。
親族に政治的な影響力のない、飾りのような王妃を探していたためだと言われる。
しかしながら、その方策は裏目に出た。
夫となった王は政治に全く興味を持たず、女と酒におぼれる放蕩三昧の愚昧な人物だったと言う。
閔妃は王室に嫁いでから数年もしないうちに王朝の政治に深く関与するようになった。
閔妃は王室に嫁いでから数年もしないうちに王朝の政治に深く関与するようになった。
その後、大院君と王太子冊立に絡む対立が深まると、1873年大院君追放の指揮を裏で執り行い、
高宗の父で摂政を務めていた大院君と、その腹心の部下たちを王宮から追い出し、
一族を高官に取り立て政治の実権を握った。
高宗の父で摂政を務めていた大院君と、その腹心の部下たちを王宮から追い出し、
一族を高官に取り立て政治の実権を握った。
そして、政治の実権を握り閔妃一族が栄華を極めますが、閔妃とその一族の浪費が国を圧迫してしまいます。
大院君はその後京畿道楊州に隠居した。
しかしながら、この追放謀議に対して明成皇后に敵愾心を感じた大院君は政局復帰、
明成皇后追放の為の運動を始め、それが朝鮮末期の政局混乱の一因にも成った。
しかしながら、この追放謀議に対して明成皇后に敵愾心を感じた大院君は政局復帰、
明成皇后追放の為の運動を始め、それが朝鮮末期の政局混乱の一因にも成った。
結果的に、日本公使により暗殺される。
閔妃が亡くなると、舅の大院君は閔妃を平民にして、皇后の位を剥奪して国葬も行われなかった。
現在は、復位して「明成皇后」として祀られている。
現在は、復位して「明成皇后」として祀られている。
| 閔妃殺害事件 |
明成皇后は、「閔妃殺害事件」(乙未事変)で有名である。 日清戦争後の当時の韓半島情勢(李朝末期)は、中国を倒し勢いにのる日本に、独立の危機を感じた王妃が 当時日本に対峙関係にあったロシアとつながり独立を守ろうとした所を韓国に駐在していた日本の軍部関係者に殺害されたという内容である。 隣の国の王妃を軍部が寝殿の外の庭に引きずり出し、刺殺したという事件。 韓国人なら誰でも知っている歴史的事件を日本では、以外に知る人は少ない。 閔妃は、国を滅亡へと追いやったのに韓国では国母と讃えられています。 日本人に暗殺されてしまった悲劇的な王妃という見方をされているそうです。
韓国では誰でも知っている事件を、
加害者側の日本ではそんな事件があったことさえ一般的には知られていない。
加害者側の日本ではそんな事件があったことさえ一般的には知られていない。
絶対、日本では、放映されないだろうという、知るひとぞ、知る作品である。
日本帝国時代の韓国ドラマは、今までは観たくなかった。
最近は、少しずつ観るようになった。韓国ドラマで日本の歴史を知る。
最近は、少しずつ観るようになった。韓国ドラマで日本の歴史を知る。
韓国が好きなら、植民地時代の事は、背を向ける訳にはいかないか…
韓国側、日本側からの視点で、食い違うところもあるどろうけど
侵略戦争という時代の背景が、狂わせたのだろうか。
■歴史的な問題に対する活用
事件から100年の節目である1995年には、そうしたイメージを覆す『明成皇后』はミュージカルにもなった。
この作品が若い世代からも良い反応を得ることに成功したのは、
日本統治期を敗亡の歴史ではなく成功の歴史に変えたことにある。
この作品が若い世代からも良い反応を得ることに成功したのは、
日本統治期を敗亡の歴史ではなく成功の歴史に変えたことにある。
明成皇后の生涯を個人的な野心に帰結させるのは、日本の帝国主義の植民地史観に根ざすものだ。
明成皇后の華麗な外交術、肯定的な意味での権謀術数、時代を見通す現実意識など、精密に描いてゆく。
明成皇后の華麗な外交術、肯定的な意味での権謀術数、時代を見通す現実意識など、精密に描いてゆく。
ミュージカルに刺激され、韓国放送公社(KBS)は01年から02年にドラマ「明成皇后」を放映した。
