今回は視座の低い人は今しか考えられない、視座の高い人は未来を見ていると言うお話です。
魂の未熟な人間というのは物事の一点しか見られません。
未熟故に人生経験が少なく物事にある色々な側面を想像できない、人の気持ちを考える事ができない。視野が狭いのです。
当然先まで見通して考える力も人を思いやることもできません。
だから何か問題が起こった時に今現在にフォーカスしてしまい物事を難しく捉えてしまうのです。
逆に視座の高い人間は視野が広いので先々まで見通したり、物事の色々な側面を想像したり、色々な人の気持ちを考えることができます。
例えば、私が会社員をしていた時。
その時私は独身でしたが、いずれ子どもができれば同僚に助けてもらわなくてはいけないこともあるだろうと、お互い様の精神で幼児さんのいる人の仕事のフォローを率先して行っていました。
しかしこれができない人が非常に多い。
なぜ私がやらないといけないのか?あの人ばかり休んでズルい。私だって大変です。
他にもいずれ親の介護で仕事をセーブしなくてはいけなくなるかもしれません。自分自身が大病を患ったり障害者になる可能性もゼロではありません。それが想像できない。
こう言う人はやはり「今」とか「自分」という点でしか物事を捉えられないのです。
今の自分にとって損か得か、と。
これは色々な事に置き換えて見ることができるはずです。
「今」がダメならこの先もダメだ、とか。一つの事柄が全てそうであるかのように一般化して捉えてしまったり。
あなたの身の回りにこんな人はいませんか?
もしかしたらあなた自身が点でしか捉えられない人かもしれません。
「今」ではなくて「未来」を、「自分」ではなくて「他人」を。多面的に捉える訓練をしてください。
この世の中は全て平等にできています。損得で考えて得をとればいずれ損が返ってきます。
自分が損をしても人のために動ける精神性の高さがあればいずれもっと大きなものが返って来るのです。