今回は悟りを開くとはどう言うことかというお話です。
仏教徒ではなくてもスピリチュアルに調味のある方は悟りの境地に立ってみたいと思われるでしょう。
昨日の記事の「魂の目覚め」なんかもその一つだと思います。
私は過去世でもラマ教のお坊さんをしたり、巫女をして人身御供にされたり、現世においても尼になりたい、巫女になりたい、修道女になりたいと常々言っていました(宗教には興味がないのでなんでもいいから神仏に仕えたかったみたいですね)。
子どもの頃から写経をしたがったり、巫女の求人募集を探してみたり、滝行してみたがったり。「大いなるもの」的にしなくて良いことだったのでさせてはもらえませんでしたが。
スターピープルで霊視できる人にも「エマさんは魂としての修行の期間はとっくに終わってるのに本当に修行が好きなんですね」と言われていました。
そんな私でも悟りを開くために必要なことは瞑想や写経や滝行や神仏に仕える事ではないと思っています。
俗世に塗れて生きるのが一番の修行です。
だって皆さんは魂の修行のために現世に生まれてきているのですよ。それなのにスピリチュアルに頼って5次元世界に行こうとしたってそんなの行けるはずがありません。
現実世界を生きるのが一番の近道です。
結局私もエゴが渦巻く営業の世界でずっと生きてきました。
営業成績やお金が関わると人のエゴというものを嫌と言うほど見せられます。
何か問題が起きた時、保身に走り何でも人のせいにする人。人の頑張りを平気な顔で自分のものにする人。自分の利益のためなら平気で人を陥れる人。陰口の言い合い。
それこそ今視れば悪魔や宇宙人や強い低級霊の憑いた人ばかりの職場です(どおりでしょっちゅう体調不良になっていたわけです)。
もちろんまともな人も少しはいましたが、耐えられない人はすぐに辞め、残るのはとんでもない人ばかり。
これは私のいた職場に限らず人それぞれの環境で何かしらこういった大変さを抱えていると思います。ママ友との人間関係、先生と保護者、パート先の人間関係、親戚関係、ご近所さん、切るに切れない友人関係など全ての人間関係においてです。
どこに行っても嫌な人はいます。
そんな環境でどうやって自分を真っ直ぐに保つのか。
私が常々言っているスピリチュアルではなく現実を生きるとは正にこの事なのです。
もっと大きく言えば生まれ育った環境、病気や障害を負っていたとしても腐る事なく真っ直ぐな自分でいられるか。
それが魂の修行であり悟りへの道だと思います。
悟りってエゴ丸出しの自分勝手な人たちに正義を振りかざして正すことでも、諦めることでもありません。
実際、悪魔に取り憑かれちゃった人に何を言っても無駄ですからね。
他人じゃなくて自分です。
他人を変えるのではなく自分を真っ直ぐ保つ。
一段視座を上げてみる。
そうすれば周りがどうであろうと自分の身に起こっている事を冷静に受け止めることができるでしょう。
周りが何を考えて動いているのかもよく見えてきます。
悟りを開く近道として、そこを意識してほしいと思います。