いつも聴いているラジオで、東京事変の曲がかかった。「現実に於て」「現実を嗤う」
を連続でリクエストされていたのはどこかのリスナーの方だけど、その方のメールによると「事変(林檎)のアルバムは楽曲の間が短く曲やビートが流れるように繋がっていることをこのラジオDJによって知り、気になって教育(事変1stアルバム)を買った」とのことです。それを紹介するラジオDJの女性はとても嬉しそうで、曲をかけたあとも椎名林檎の作る作品のそういったこだわりについて語り続けていました。



今それが話題になるのか、と私は不思議な気持ちになりました。それはどういうことかというと、私にとってもはや当たり前だからでした。そりゃみんながみんな椎名林檎を聴いてる訳もないので当然の話なのですが、逆に言えば私にとっての邦楽の基礎はほかでもなく椎名林檎だったのだなと思います。余韻を感じる間もないほどの曲間の短さも、アウトロから次曲のイントロが完全につながったようなものも最早「あるある」で、当時のMDコンポでCDをMDに入れようとする時、機械が別の曲と認識してくれないからしょっちゅう自分で切れ目を入れてたんですよね、ディバイドっていうの?(懐かしすぎ)当時ゆずと椎名林檎にハマっていた私ですが、明らかに椎名林檎の作風が他より技巧的であることには気づいていたと思う。タイトルとか、歌詞とか、シンメトリーになってるとか、いろんなからくりがあった。音楽を深読みをする癖はそこからかも知れない。私は椎名林檎の音楽に教育されていたんだと思う。