先日星野源のアルバム「Gen」が良かったことを書いた。そのあと、Twitterでそのアルバムの広告が非難されているのを見た。SNS全盛の時代になり、その物が注目を集めるものであれば必ず、その善し悪しに関係なく批判する意見がつきまとう。私からすればその「批判」は意味がわからなかったし、単にアーティストへの僻みにしか思えなかったのでもうその先は全然知りません。まあでもね、思うんです。そりゃやっかみも起きますよ。歌も歌えて?楽器もできて?良い曲量産できるだけでなく?ダンスもできるし?お芝居もできて?文章も書けて?お喋りも上手くて?それらがすべて評価されていて??とどめは嫁がガッキーです!!!!そりゃ反感も買いますよ!!!!許す。世の中の星野源をひがむ皆さんをゆるします!!!!!!!



かくいう私もばかのうたでCDショップ大賞をとったころの源さんを知っているので、いまこうして売れに売れまくった源さんを、なんかこうサングラスかけて両手に指輪とかして歌う源さんのことを、(ちょっと変わっちゃったんじゃないの??)と思っていたことは否めないのです。




ところが。先日、あちこちオードリーを見たんです。これに出演していた星野源、めちゃくちゃ良かったんです。何が良かったってね、目が死んでたんですよ。



絶望の話をしていました。絶望の中にいても幸せだと気づいたという話をしていました。この人の目がそもそも素朴であるというのは置いといて、時折その目が放つ光のない視線をむける瞬間がとても良くて、つまりこれは褒め言葉なんです。私が言うまでもなく星野源のファンは彼のこういう部分を知っていて、それだから余計好きになる。基本的に闇のある人なんですよね。そう、どことなく暗くて、湿度があって、人との距離感を感じる人だった。だから、ここ最近のイケイケ(に見える)星野源に寂しさを感じていたのかもなと私も思ったのだけど、蓋開けたら何も変わってなかったからびっくりする。めちゃくちゃ暗い。ほんと普通。だから、アンチにも相当疲れてると思う。絶望という言葉には色んな意味が含まれていると思った。今や日本の音楽シーンにもめちゃくちゃ影響力与えてる人なのに、言葉の端々から感じる印象は、きっと私たちと同じような感覚を持ち続けている人だということ。帰り道においしそうなお菓子を買って家で家族とおいしいねって食べる時間がマックスだと言ってた。それがなんかとても嬉しかったし、改めてこのアルバムについてのインタビューもちゃんと読んでから聴きなおしたいとも思った。闇はワードとしてネガティブだけど、人の魅力に十分なり得る。



楽曲とそのアーティストの人間性は切り離してみるべきか?という質問回答がみのミュージックにあったと思うが、私は少なくとも切り離さず観ているタイプだ。それは意図的にではなく、最早本能的かも知れない。なぜかこの楽曲に惹かれると思ったらアーティスト自体に共鳴していたと気づくことが多い。この回が好きすぎて、もう既に7回は繰り返し観ている。