私はツイ廃なので一日中Twitterを見ているのだが、中田裕二ファンの中でよく言われるワードがある。それは「今の時代なら売れてた」、コレです。椿屋四重奏の曲もといバンドが「今なら売れてただろう」という話。私はこのテの話にはあまり共感しない。



今年はじめのツアー(椿屋四重奏2025)は大盛況で、本人の言う通り過去最高動員、当時にはなかったSNSの生み出すムーブメント的なものも相まって「椿屋四重奏今が一番売れてる説」は事実だと思う。この夏おこなわれる弾き語りツアーだって福岡札幌以外はソールドというのも大納得で、私のフォロワーさんも初めて中田裕二のライブで落選の文字を見たと言うくらいだ(かくいう私は福岡なので無事当選、まじで福岡でよかったですこういう時だけは)。


ただ、薔薇ダイはおろか私の好きなトーキョーシティも孤独のカンパネラもCARNIVALも、今出したとてさほど売れはしないと思う。と言うとその根拠は?とアツいファンに怒られそうだがべつに根拠などない。根拠のことをいうならば椿屋が今なら売れるというその根拠をきかせてほしい。多分無いと思うのだ。私が今椿屋が過去の作品を放ったとてとくに変わらないと予想するのは、単純に「今巷で流行りの音楽ではないから」としかいえない。そもそも椿屋も中田裕二も、売れ線行く人ではないというのはファンは当然知っていること。となれば彼らの作風に時代がついてきてほしいところだが、やはり時代もまだ追いついていない。依然として今のトレンドは文字詰め込み系の転調しまくり系の音重ね系の声デカイ系。同時に踊れるというのも今は大事かもですね。一言で言うと映える系。音楽もカフェも一緒なんですわ。でね、その良さ普通にわかるんです。わかりやすいから。やっぱりどうして流行の真ん中にあるのはいつの世も煌びやかで華のあるものですよ。陰や月を良しとする人はこの俗世の中ではなかなかマイノリティだと思うんです。で、これは決して悪口ではないということを強調したい。流行るものだけが良いのでしょうか?ということ。中田裕二さんにはいつまでも我が道ゆく孤高のミュージシャンでいて欲しいのです。それについていくものは必ず居るから。流行りじゃないって強いんだから。老舗の喫茶店のコーヒーは大変味わい深く、地味でも名高い老舗ですよ。



それをなんでファンは今になって売上がどうとか言うのかなぁと、別にこれ攻撃してるわけじゃなくて、純粋に疑問です。もちろんアーティストの経済的なところとか今後の活躍の場を考えたら売れていただくのは万々歳ですけど、別に売れても売れなくても中田裕二の価値変わらないジャンとは常々思ってます。この人の良さをなんでみんなわからないの?!という主張ならばこの人の良さはマイノリティであることだと私は思いますけど。大衆的でなくてもわかる人はわかる、知る人ぞ知る、なものには私はロマン感じます。あと、中田裕二さんは全然普通に十分すぎるほど売れてらっしゃいます。椿屋四重奏のことを売れなかったと中田裕二は小声でいうけど、間違いなくファンは大勢居ましたよ。今もいますよ。私にとっても大切な人生の1曲だよ。と思うよ。




今日は朝からグラビティを聴いていた。グラビティはなんとなくギターの旋律がキリンジのエイリアンズのように感じられて、つまりオシャレだということが言いたい。中田裕二のアルバムはソロだけで既に10枚を超えており、それぞれのアルバムの味がある。その味わいはくるりのアルバムのようにバラエティに富んでいて、それぞれのコンセプトというか、作者の当時注力したかったことが明白で面白い。だから好きだ。グラビティの収録された「DOUBLE STANDARD」は中でもオツなアルバム。派手では無いけど渋みがあるというか、少しヴィンテージな香りがする。