映画は苦手だ。明確な理由はわからないけどこれから2時間動けないというプレッシャーが嫌なのかもしれない。でも自宅で観るのもあまり好きではないからそれだけとも言えない。昔から映像はMVが限界と言い続けてるんだ。そんな私が朝早くからチャリに乗って観にいった映画がこれ。内容は割愛して、私の感想だけメモしたいと思う。
どうすればよかったか?という問いに対しての答えなら、ほぼみんなが同じことを答えると思う。「早く病院に連れていくべきだった。」発症後25年経過したのちにようやく治療ができたお姉さんの、3ヶ月投薬後の回復ぶりを見ればそう思う。でもこの質問、そんな単純なものではないと観終えた者ならわかる。この映画から伝わるのは「理屈ではわかっているのにそれができない」現代社会への問題提起だ。
統合失調症のお姉さんとその家族のドキュメントということで、事前に観た予告はそれだけで胸をえぐられるものがあった。これを101分も観ていられるだろうか?と観終わったあとの私のメンタルを心配した。本編開始早々響き渡るお姉さんの絶叫、そして要約すれば「殺したかったけどできないと思ったからカメラをまわすことにした」という弟(監督)のナレーション。不穏極まりないが、中身は予想に反して穏やかだった。ただ、これは私の感想であってみんながそうだというわけではない。吐き気がしたという人、思わず席を立ったという人も見かけた。アレ私はそんな気持ちにはならなかったワと空になったコーヒーとポップコーンのカップを捨て、余裕の心持ちで映画館を出たが、家に帰ってからも、夜が明けても、この映画の余韻がなんとなくずっとあるから参った。即効性なのか遅効性なのかはまさにその人次第だけど、誰にとっても喰らってしまう映画なのは間違いない。
そして完全に喰らってしまった私は後日パンフレットを買いに同じ映画館に走ったが既に完売と言われてしまい、どうすればよかったか?とひたすら検索し、沢山のレビューやブログを読みまくった。映画だけでは分からなかった情報も得られた。私が見る限り、ご自身の家庭(もしくは知人)を重ねている感想が多かった。そのような方からするとこの両親はたしかに毒でしかなかったと思うし、そのようなまとめが多くなされていたように見える。私はというと、特に親がエリートというわけでもない。単なる一般家庭で平々凡々に生きてきたため家族全員仲もよく、勉強を強いられたことも圧力を感じたこともない。友人にも病気の子はいたがここまで大変な状況の人はいなかったし、この映画に出てくる人物と重なることが何ひとつなかったんである。そんな私からすると、たしかにこの両親は娘のためといいながらプライドや世間体を気にした毒親のようにも見えるが、根底には愛があったんだろうなという感想になってしまう。お姉さんの葬式で棺桶に論文を入れ、最後のインタビューでもなお失敗したとは思わないと言い切る父親。それは根底に娘への愛があるからだと、私は思ってしまう。棺桶の中の娘に語りかけている父親の姿にうっかり涙してしまったのは、私が幸運にも親から紛うことなき愛情をもらっていたからなのかもしれない。でもやっぱり、愛なしでは、プライドだけでは、あんなに年老いてまでつきっきりで面倒を見れないと思う。両親も娘をなんとかしようと必死だったのだ。みんな同じことを思っているはずなのに、なぜだろう、それができなかった。私の脳はまたこの映画のタイトルを延々とつぶやくことになる。
難しいことは置いておいて、映画後半の少し元気になったころのお姉さんの姿が私の心に強く残っているから書きたい。カメラを向けられ、おどけてピースをする姿。長い緊張状態から少し解放された瞬間だった。ちょっとニッコリしてしまいました。まだまだ不安定で治ったとは言い難いけど、ふと見せる表情からきっと本来はこういうお茶目で明るい人だったのだろうなと思わされる。そして弟は、そんなお姉さんのことが本当に好きだったんだろうなと切なくなる。出かけた先でカメラやタブレットを構え、静かに、でも心なしか嬉しそうにシャッターを切るお姉さん。その日撮っていたのは花火。でもそれは花火大会の盛大な花火なんかではなくて、こどもたちが公園であげてる打ち上げ花火。そんな小さな花火に向かって、空を見上げて何度も何度もシャッターを切る。家にかけられていた南京錠のことを思い出す。お姉さんはやっといま、花火を見て綺麗だと思う日常を手にすることができたんだと。そんなシーンのあとのビートルズには泣けてしまいました。お姉さん、ビートルズ好きだったんだなぁ。

どうしてこうなってしまったのだろう。どうすればよかったのだろう。わからない、人の家族に口出せない、というのがもっともらしい感想だと思う。簡単に感想を言っていいものか、そんな気にもなる。でも監督はこれは失敗例だと断言している。監督のもはや行き場のなくなってしまった怒りや悔しさといったものを強く感じる。どうすればよかったか?せっかくこうして秀逸なタイトルにして、作品にして問うてくれてるので、こんな私でもちゃんと受け入れて考えてみたいと思っている。でもまだ答えは出ていない。

