中田裕二のライブに行ってきた。ライブの後はセトリを振り返りながらどこかで飲んで帰るというのが常なので、昨日もイヤホンつけてひとりビール飲んでた。もはやここまでがライブです。



終演が21:20とかだったのでけっこう早めにラストオーダー来ちゃって店を出て2軒目探して彷徨った。1人でも良かったけど近くに住んでる飲み友達(学生時代の先輩)がいるので連絡したら来てくれた。前にも行ったオイスターバーにまた連れてってくれた。酔っ払った彼は、俺は女性の顔じゃなくて性格を見てるんよ!なんて話を笑いながらダラダラとしたりして、でもやっぱ顔だよねなんて結論になったりして、私はその話をしながらちょうどさっき見た中田裕二のことを思った。



私さっき中田裕二のライブに行ってきたんですけどね、なんて切り出したらハテ?という顔をされたけど、つまり私は中田裕二の顔を見ていながら顔を見ていないと思ったんだ。顔を見て中身を見ているともいう。



私個人の話なんだけど、中田裕二のお顔って整っているけどとくに好みではなかった。若い頃なんてとくになんとも思わなくてみんなの言う色気とやらも正直そこまで感じたことがなかった。椿屋の音楽は好きだったけど、裕二の色気が~とか恋わずらいが~とか、そこまでですか?って内心思ってた。なんていうか、エセに見えたんだ(※個人の感想)。それは私が若かったからというのもあるし、彼が若かったからというのもあるかもしれない。でも不思議なのが、大人になった私が今見ても椿屋時代の色気はどうにもエセに見えるってこと。今の彼の色気のほうが格段に凄まじいと思う。個人差があると何度も言っておきたいけど、個人差があると申すその根拠は色気って別にエロじゃないと思っているからだ。私はその人の持つ独特のオーラというかフェロモンというか、見えないものがにおいみたいにムワッと漂ってくる瞬間だと思う。そしてそれを感じられるかどうかは、その人(私たち)の生き方次第だと思うから。ちょうど中田さんがMCで「こないだの今田美桜のカルティエのドレスがエロかった」と言っていたが、やっぱり色気とエロは似て非なるものと思う。わざわざシャツはだけてなくていいのだ。Tシャツでも滲み出るのが色気だ。それを私は今の裕二に感じる。




彼がこの10年で仏教や日本文化に対して深い興味関心を持たれるようになったことは音楽からもインタビューからもライブのMCでもわかる(講演会かよって自分で言ってた/笑い話です)。こないだ読んだ世阿弥が~とか言い出して客席置いてけぼり感あったけど、私はこの人のこういう思想とか哲学をもとに中田裕二のフィルターを通して生み出される言葉や音楽が好きだ。それは椿屋四重奏の時には無かったものだと思う。だからつまり、現在の彼のお顔は現在の内面の深さが滲み出てると思うから、そういう意味合いで「つまり顔だし顔じゃないよね」って意見を、彼に主張した。バツイチになってやっと立ち直ってきたような人に聴かせる話でもなかったが、彼はいい人なのでワカル~~!といってくれた。絶対わかってないけど結論だけはまぁ伝わったと思う。




今回のアルバムは、派手では無いけど彼の真骨頂というかんじがする。最後にこれまでで一番いいツアーだったと本人が言っていた。バンドメンバーも口をそろえて楽しかったといい、「裕二の調子が良かった」からだと付け加えた。それが全てなんだろう。中田裕二が自分の分身だと言って紹介していたARCHAICSMILE。今の中田裕二の全てが詰まっている気がする。ライブについてはまた改めて記録したいが、取り急ぎ開演までに大きめのアイスコーヒーとビールを飲んでしまったことで直前にトイレに行ったにもかかわらず途中から尿意が来てしまった私、終わって欲しくないのにはよ終わって欲しい葛藤と苦しみがあったことを書いておく。私へ。次のライブでは直前にアイスコーヒー飲むな、絶対。