最近アイドルを好きになって、CD買わざるものファンと呼ぶべからずといった文化を間近で見ている。ザ・アイドルとロキノン系とはこのあたりの文化が違うので比べるもんでもないが、私はアイドルでもロキノン系でもいいと思ったら買うし思わなかったら買わない。いろんな応援の仕方がある。(ちなみにSixTONESのCDは買い集めました、良かったんで)




先日の椎名林檎と宇多田ヒカルの共演について。職場で椎名林檎ファンの女の子(年下だが先輩)が今日出ますね!と声をかけてくれたが、実際にはリアタイ視聴せずのちに追いかけて見た。私が近年リアタイをするとしたら唯一大晦日の紅白くらいかもしれない。今回のはTVerがあるからというよりも、そもそも観なくてもいいかな見れたら見ようかなというくらいの情熱であり、それは決して嫌いになったとかではなく、パフォーマンスが良くないからなんてことあるはずもなく(すごく良かったです)。それでも絶対に観なければ!という気持ちになれないのは、私は思春期のころのあの感動や衝動をもう感じることはできないと、確信しつつあるから。それは古参ならではの感覚なのかもしれない。私にとって椎名林檎とバンプオブチキンには、そんな感覚がある。



Twitterでこんな投稿を見かけた。


https://twitter.com/SacchIncidents/status/1780126824271618126?t=MlPXMeIfJVTVZlYRGnsjzA&s=19

 

 

(ちゃんとリンク貼っておこう)



これ、めちゃめちゃわかるんだよなぁ。新譜を買おうと思えなくなった自分の変化。アーティストをとりまく環境の変化。変化はあるものとわかっているけれど、やっぱりどうして切ない。私が変わったのか相手が変わったのか、いやこれは100パーセント自分が変わったんだ。フォローもなんもしてないくせにお気持ちわかりますと思わず話しかけようか迷ったくらいだ。



SNS、とくにTwitter(未だにXと呼べない)は本当に画期的で、みんなの今がリアルタイムでわかるようになった。例えば自分の好きな歌手がテレビで歌っている時、自分が感動しているその瞬間に他の人も同じように感動していることがわかる。横の繋がりが目に見えてわかるようになった。25年前には考えられないことだ。私の周りには椎名林檎ファンなんて数える程しかいなかった。実際は居たんだろうけど。




SNSの楽しさの反面、テレビや新譜で大盛り上がりする人たちを眺め、やけにシラケる気持ちは私も感じたことがある。この人の言う「遠い青春時代を思い出すように眺め」というのがものすごく理解出来るんだ。だって私はもうこのように騒げないのだ。新譜も買わない、グッズも買わない。だって既にたらふく持っているし音源ならサブスクで買えるから。昔みたいなときめきはないのだ。きっとこの人も、いつか体験したことのある、そして戻ることの出来ない「新規(古参の逆)だった私」を思い出したんだと思う。これは新規がいい古参がいいという話ではなくて、「新規は古参ではないし古参は新規ではない」という、その事実のこと。私がSixTONESにこれだけ熱をあげられるのは、今私が新規だからだ。恋愛だったら付き合い初めて半年くらいのかんじだ。知っていくのが楽しいんだ。でも別にいいと思う。熟年夫婦だって悪くない。遠くから見守ってもいいじゃない。いろんな応援の仕方がある。CDを買うとかハッシュタグつけてつぶやくとか応援ってそれだけじゃない。



この日の二時間だけのバカンス、同じショートの髪型でも白と黒で対象的なヴィジュアルにはなんだか唄い手冥利を思い出した。あれに収録されたカーペンターズのカバーは何度聴いたかわからない。あれもう22年も前なのか。