ふと、とあるツイートが目について、考えた。



とある方の、「音楽と人」2024年2月号についてのポスト。概要としては、2001年のチバユウスケ表紙のものとSixTONESが表紙を飾る最新号を画像で比較し「音楽と人変わったな(ネガティブな意味で)」といった主旨のものだった。



音楽と人、言うまでもなく好きな雑誌だ。最近こそ買っていないが学生時代はよく読んだ。ツイート主のあなた、実は私もそれを思っていたのです。私がその異変に気づいたのはまさに直近、SixTONESを好きになってからです。トーキンロックや音楽と人の表紙を飾るSixTONESを見かけて、トーキンロック(音楽と人)、アイドルが表紙するようになったんか?!とあなたと同じことを思った。念の為、他のジャニーズのアイドルで表紙してる人いるのかとざっとバックナンバー調べてみたら、それほど多くもなかった。つまり、どうやらSixTONESはロック誌にインタビューしてもらえる枠にいるらしい、それはすごいことじゃないか、という結論に至りこの問題については自己完結していたわけだった。




対して、当該ポストはどちらかというとネガティブな言い回しに見える。ので、純なアイドルオタクたちの反感を買ってもしょうがないとは思うのだが、該当アイドルオタクのみなさま、そんなプンプンしなさんな。この流れはしょうがないことだとひとつ理解して、どうか受け流して欲しい。やっぱり、硬派な音楽ファンにとってアイドルはウザイもんなのである。




アイドルとはなんなのか?また別の人がポストしていた。「PerfumeもアイドルだがPerfumeなら問題ないのだろうか?」というようなポストだったが、私はPerfumeってアイドルなん?!?!と思わず声出た。たしかにPerfumeは気になる子ちゃ~~んとか言うてる(深夜番組)フワフワアイドル時代があった。だが私の中ではもう彼女たちはアイドルではない。私の認識はアーティストである。さてこの違いはなんだろう?アイドルの区分はなんなのだろうか?これは人によって違うのかもしれない。私にとってのアイドルの定義を申すと、「顔を売っている人」、ズバリです。




まずね、顔が売れるってすごいことなんだよ。アイドルにしかできない。アイドルグループがよくやる同じタイトルの音楽を初回ABCでバリエーションつけて売るやつ。特典とかフルでつけてくるやつ。これ、硬派な音楽ファンにとってはウザくてしょうがない。音楽1本でやれよ!自信ないのかよ!同じ人から何枚分もまきあげて卑怯では?!!!とか思ったりする。でもさこれって、同じ人が何枚も費やせるほどの価値を作り出してるということなんだ。なかなかできることじゃない。くるりがABCバリエーション作って特典で岸田トレカつけますー佐藤クリアファイルつけますーって多分売れない。わたしゃいりません(※私はくるりを愛してます)。くるりの需要は間違いなく、そこに無いのだ。




私たちが平成に愛したバンドたちってヨレヨレのTシャツにデニムだったりして、それこそ服装には気を使ってません音楽に命削ってるんで…みたいな人が多かった。お顔は二の次よ(たまに美形もオシャレさんもいますけど)。志村正彦は美形だけどめちゃくちゃ根暗だったわけ。で、それがめちゃくちゃに魅力だった。だからこそ「俺らのロックスター」になれたんだわ。一般人のバンド聴いてる勢なんてね、毎日普通の生活送ってるんです。辛いことがありながらも平静を装って生きてるんです。そんな俺らを救ってくれるのが音楽なんです。普通の顔した、なんならブサイクな位の人が書いた歌詞に、メロディに、生き方に、立ち姿に心から共感できるわけですわ。そんな手に届かなさそで届きそうなロックスターに私たちは憧れを抱くんですわ。チバさんなんてクソイケメンですよ?でもそれを売りにはしてなかったでしょう。それに粋を感じる人たちにとって、顔がカッコイイうえにそれを自覚した上でそのカッコイイ顔と身体を最大限に活用してガンガン音楽売りさばいてるなんて悔しいでしかないの。



アイドル、SixTONESを知ってわかったことがある。アイドルも真面目なんだな。硬派なんだな。音楽が好きなんだな。事務所が違えば売り方が違うもんなんだな。アイドルがバンドマンになれないようにバンドマンはアイドルにはなれないんだな。そういったこと。アイドルだから、で敬遠するのは勿体ないことだと今は思う。硬派なファン=そう私のことであります。クソ頑固親父なのでずっとそう思っていた。でもアイドルの持つ顔力と人間力は、凄まじいものがある。作詞作曲はしなくともパフォーマーとしての存在感。持ってるもの全部使ってなにが悪いかって話だね。少なくとも音楽自分で作ったこともなくただ享受するだけしてあーだこーだツイッタで文句言いあってる一般人よりもずっと「音楽に携わる人」だと思っている。