随分怒ることもなくなってきた私なんだが今日は朝からちょっとイラッとすることがあった。顔も見知らぬ人とのやりとりだった。私はできるだけ人に優しくありたいと思っていて、誰かが頑張っていたら応援したいし誰かが私を応援してくれるならなにかで返したい。そういうことを思っているから、自分が誠意と思いやりをもって応じてきたにもかかわらず相手が責めてきた瞬間は、なんらかの理由があったとしても、それを理不尽に感じてしまう。その後のやりとりで誤解は解けたが、久しぶりに私の頭をよぎったのがバンプの「ひとりごと」だった。






当時高校生の私は絶賛思春期まっしぐらで、とはいっても大した悩みもなかったはずだが当時の自分は一生懸命「自分探し」をしていた。そこに寄り添ってくれていたのがバンプオブチキンの音楽だった。藤くんはよくわかっているなァと時に涙し自分を鼓舞させてもらったものだが、大人になってわかるのは、彼の歌は一見青くてもけして思春期の歌ではなかったということ。彼は老若男女のことをわかっていて、逆に言えば人は年齢で考えることが変わるかというと、そうでもないということ。変わらない普遍の部分を藤くんは、歌っていたんである。



優しさってなんだと思う。思春期の私にはわからなかった。でもそれって結局エゴなんだなということは、この歌詞に教えてもらったと思う。渡したいのに渡せない。相手のためなのに相手のためじゃない。優しくありたいと思う自分は優しいとはいえない。それでも僕は優しくありたい。そんな禅問答のようなをことをグルグル考えてしまうものだしそれは大人になった今でもあるんだ。



「頭ヘンになったかも/いやいや至ってまともだよ」という節があるから、この曲は信頼出来ると思っている。神じゃなければ誰だって頭おかしくなったかなと自分を疑う瞬間がある。結局考えることを手放して、ふたりのあいだに生まれるものだけを見ていようというその曲の真意は、高校生の自分にはわからなかった。藤くんさすがポエットリーだわ、難解、と思った記憶だけある。でも今はわかる。この歌の言っていることが、大人になった今だからわかる。